日本歴史地名大系 「木津庄」の解説
木津庄
きづのしよう
古代の
本家職は藤原忠実から女高陽院泰子へ伝えられ、高陽院により
この事件に関しては梶原景時室消息写(三条家古文書)があり、当荘は「こつのしょう」とよばれており、「こつのさうのこと、
木津庄
こうつのしよう
延暦寺三千聖供領。木津は平安期以来示を打ち定めている(同年八月三日「延暦寺政所下文案」饗庭文書)。永正四年(一五〇七)九月日の祐憲書下状案(同文書)によれば、この四至
示は、東は
木津庄
きつのしよう
木津庄
きづのしよう
木津庄
きづのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報