木津郷(読み)きつごう

日本歴史地名大系 「木津郷」の解説

木津郷
きつごう

和名抄」高山寺本は「岐都」と訓ずる。平城宮出土木簡に「丹後国竹野郡木津郷紫守与曾布五斗」とみえるほかは古代木津郷については不詳。

下って元弘三年(一三三三)五月二〇日付熊谷直久軍忠状(熊谷家文書)に「木津郷」「木津庄」がみえ、室町期の丹後国田数帳にも賀茂社(上賀茂神社、現京都市北区)領木津庄とは別に、

<資料は省略されています>

と記される。また田数帳とほぼ同時代にあたる康正二年造内裏段銭并国役引付に「参貫文(中略)同帰院領丹後国木津郷段銭」とある。

木津郷
こつごう

「和名抄」高山寺本は「古豆」(コツ)、東急本は「古都」と訓ずる。平城宮跡出土木簡に「近江国高嶋木津道守(真カ)□万呂」とある高島木津は当郷のことであろう。伴出木簡の年紀から養老―天平(七一七―七四九)頃のものとされ、裏に「白米」とみえるので白米(舂米)を貢進していたことがわかる。治暦元年(一〇六五)九月、北陸道の官物輸送のさい諸津泊で刀禰らが勝載料と号して運上調物を割取ることに対して太政官符(写、壬生家文書)が出され、大津、塩津しおつ(現伊香郡西浅井町)とともに木津の名があげられる。

木津郷
きづごう

「和名抄」高山寺本は「岐豆」と訓ずる。東急本は遠敷郡にも載せる。庚子年(文武四年)四月の藤原宮出土木簡に「若狭国小丹生評木ツ里秦人申二斗」、神亀五年(七二八)九月一五日の平城宮木簡に「若狭国遠敷郡木津郷少海里土師電御調塩三斗」とみえ、調として塩を貢進していたことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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