日本歴史地名大系 「鹿郷」の解説 鹿郷かひるごう 福井県:越前国敦賀郡鹿郷「和名抄」高山寺本は「加比留」と訓じ、東急本は「鹿蒜」と記して「加倍留」と訓ずる。天平神護二年(七六六)一〇月二一日付越前国司解(東南院文書)に郷名がみえる。日野川上流部の一支流に鹿蒜(かひる)川があり、その流域一帯現南条郡今庄(いまじよう)町西部に比定される。近世村の帰(かえり)村(現南今庄)の地が中心であろう。現南今庄に鹿蒜神社、西隣の新道(しんどう)に鹿蒜田口(かひるたのくち)神社があるが、「延喜式」神名帳の「加比留(カヒルノ)神社」「鹿蒜田口(カヒルタノクチ)神社」「鹿蒜(カヒルノ)神社」との関係は不明。 鹿郷おうがごう 茨城県:常陸国行方郡鹿郷「和名抄」高山寺本にはみえず、東急本・刊本に「逢鹿」と記され、訓を欠く。「常陸国風土記」行方郡の項に「此より南に相鹿・大生の里あり。古老のいへらく、(中略)又、倭武の天皇の后、大橘比売命、倭より降り来て、此の地に参り遇ひたまひき。故、安布賀の邑と謂ふ」とみえる。また正倉院宝物の臈蜜袋に天平勝宝五年(七五三)として「常陸国行方郡逢鹿郷戸主建部身麿調布壱端」、布袋に同年として「常陸国行方郡逢鹿郷戸主壬生直宮万調布壱端」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by