麻城跡(読み)あさじようあと

日本歴史地名大系 「麻城跡」の解説

麻城跡
あさじようあと

[現在地名]高瀬町上麻

柘岡の城つけのかのしろ(一六八メートル)にある城跡。城主は近藤出羽守国久。国久は獅子の鼻ししのはな(現豊浜町)城主大平伊賀守国祐の弟で、麻地区を領したところから麻殿とよばれたらしい。天正五年(一五七七)阿波国大西おおにし(現徳島県三好郡池田町)の大西覚養は長宗我部元親に攻められ、讃岐に逃れて当城の国久を頼った(南海通記)。この麻城も元親軍に攻められ、天正年中に滅んだと伝える。落城年代は不明だが天正六年秋前後と考えられる。敗れた国久は麻城の谷に落ちて横死したといわれ、谷は横死おじヶ谷とよばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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