麻布深広寺門前(読み)あざぶしんこうじもんぜん

日本歴史地名大系 「麻布深広寺門前」の解説

麻布深広寺門前
あざぶしんこうじもんぜん

[現在地名]港区六本木ろつぽんぎ七丁目

麻布光専寺あざぶこうせんじ門前の西にある門前町屋。片側町で、西は大番組屋敷、南は深広寺境内、北は日向延岡藩内藤家下屋敷。代地(現六本木三丁目)東方の往還反対側にあり、東は麻布北日下窪あざぶきたひがくぼ町、西は同光専寺門前代地、南は相模小田原藩大久保家中屋敷、北は大行院。深広寺境内に寛永六年(一六二九)許可された門前町屋で、のちの記録によると往来が寂しく諸人通行の便と府下繁栄のために申請したという。おいおい家作を取立てたが延宝六年(一六七八)類焼後表通り七九坪余が御用地となり、六本木町続きに元坪どおりに代地を受領して代地の割余り二三坪余は寺の預地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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