黒石川窯跡
ふうしなーかまあと
バンナ岳南東麓、石垣市浄水場の北方約五〇〇メートルの小字嵩原にある近世の窯跡。地元ではフゥシナーチィブヤー(黒石川壺屋)という。雍正二年(一七二四)に那覇の陶工仲村渠致元が宮良村高山原に築いた官窯高山窯(宮良窯)は、蔵元から遠いため人夫も多く要し、薪木・陶土の調達など何かと不便であるとの理由で、同七年に黒石川に移された(参遣状)。移転場所について八重山島年来記は慶田川、八重山島取調書はヲビラ原とするが、いずれも黒石川窯のことである。当時蔵元の屋根瓦は名蔵窯で製造していたが、同八年から当窯で焼くようになった(八重山島年来記・参遣状)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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