蔵元(読み)クラモト

デジタル大辞泉 「蔵元」の意味・読み・例文・類語

くら‐もと【蔵元/倉本】

酒・醤油などの醸造元。
室町時代の質屋営業者。
江戸時代蔵屋敷蔵物の出納を管理した町人。多くは掛屋かけやを兼ねた。

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精選版 日本国語大辞典 「蔵元」の意味・読み・例文・類語

くら‐もと【蔵元・蔵本・倉本】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中世の質屋営業者。
    1. [初出の実例]「一 入質物具等事。右、本物過一倍者、須倉下之意」(出典宇都宮家式条(1283)四九条)
  3. 江戸時代、大名の蔵屋敷に出入して、蔵物の出納・売却金銭用達を勤めた商人。多くは両替商、掛屋(かけや)や札差(ふださし)が兼ね、士分に取り立てられ、扶持米を与えられた。
    1. [初出の実例]「留主居の肩に酔ふた蔵元」(出典:雑俳・折句式大成(1753))

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改訂新版 世界大百科事典 「蔵元」の意味・わかりやすい解説

蔵元 (くらもと)

江戸時代,大名(藩),旗本などの諸領主が大坂,大津,堺などの諸都市に置いた貢租米や特産品の販売担当者,あるいはその職務。一般的には,これら諸都市に置かれた蔵屋敷の主たる構成員として,蔵物の管理,出納を行う者,あるいはその職務をさす。大坂に置かれた蔵屋敷の場合,江戸時代の初めには各藩から派遣された武士の蔵元がみられたが,寛永年間(1624-44)以降,しだいに町人がその任にあたるようになった。これを町人蔵元とよぶが,このような傾向は寛文年間(1661-73)以降一般的なものとなり,元禄年間(1688-1704)では100名以上に及んだ。彼らは,通常,武士身分に取り立てられ,扶持米を与えられた。また,蔵物の販売に際しては一定の口銭を得るほか,諸藩に対して金銀の貸付けを行う場合もあった。なお,諸藩に対する貸付けは,蔵元以外の蔵屋敷の立入人によっても行われた。このような町人蔵元の多くは,大坂の有力な商人であったが,なかでも,鴻池善右衛門平野屋五兵衛天王寺屋五兵衛などは有名であった。鴻池屋は岡山・広島・福岡藩,平野屋は熊本・松山・土浦・徳山藩というように,彼らは1人で数藩の蔵元を兼ねていた。江戸時代の諸藩の財政収入は,主として農民から取り立てた貢租米の販売収益に依存していたが,その中心は蔵屋敷を通じての蔵物の販売にあった。したがって,この蔵物を取り扱う蔵元は,一般に藩財政の上で大きな力をもっていた。しかも大坂の場合,掛屋など蔵屋敷の他の職務を兼ねる蔵元が少なくなかった。この場合には,貸付けを通じて藩との金融関係がいっそう強まる結果となり,藩財政に対する蔵元の経済的実力,優位性はさらに強化されることとなった。
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百科事典マイペディア 「蔵元」の意味・わかりやすい解説

蔵元【くらもと】

(1)江戸時代,大名・旗本などが自領の産物を売るため大坂や大津・堺などの諸都市に置いた蔵屋敷の構成員。蔵物の出納を行う。17世紀半ばごろから蔵米仲買の町人がこの地位につき,金銀出納に携わる掛屋(かけや)を兼ね巨富を得た。(2)琉球王国時代,宮古・八重山久米島(くめじま)などに設けられた地方行政機関。首里(しゅり)王府の島嶼(とうしょ)支配の拠点となっていた。
→関連項目米会所御用商人札差本両替

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蔵元」の意味・わかりやすい解説

蔵元(江戸時代)
くらもと

江戸時代の蔵屋敷においてその管理にあたった町人もしくは武士をいう。初期には武士の蔵元が多かったが、のち町人が主流となった。初期の町人蔵元は諸藩の年貢米販売委託業者的なもので、自己の責任で年貢米を販売した。大坂の淀屋辰五郎(よどやたつごろう)一族などがその例である。17世紀後半以降、蔵屋敷での米販売は入札制となり、蔵元の役割は、入札仲買の選定、入札時期の決定、蔵物の保管・出納(すいとう)業務が主となった。蔵元たる町人には扶持米(ふちまい)のほか、蔵物取扱いの口銭が与えられ、また掛屋(かけや)(蔵物代銀を収納・保管する者)を兼ねる者も少なくなかった。鴻池屋善右衛門(こうのいけやぜんえもん)、加島屋久右衛門(かじまやきゅうえもん)などが有名な蔵元である。

[宮本又郎]


蔵元(琉球)
くらもと

近世琉球(りゅうきゅう)で宮古(みやこ)、八重山(やえやま)、久米島(くめじま)に置かれた官衙(かんが)のこと。蔵許とも書く。設置の年代は不明であるが、近世初頭にはすでに存在し、地域支配のうえで重要な役割を演じている。宮古は平良(ひらら)に、八重山は石垣(いしがき)に、久米島は仲里(なかざと)・具志川(ぐしかわ)の両間切(まぎり)にそれぞれ置かれたが、代表的なものは宮古、八重山の蔵元である。蔵元の行政機構の最高ポストは在地の頭(かしら)(3人制)であり、その下に勘定座(かんじょうざ)、系図方(けいずほう)などの座(ざ)、方(ほう)(行政上の部署)があって、それぞれ担当役人が勤務していた。各村(むら)、島々には首里大屋子(しゅりおおやこ)、与人(ゆんちゅ)、目差(めざし)などが蔵元から派遣されて統治にあたった。なお、首里王府は、在番(ざいばん)と称する役人を現地に派遣して、頭以下の蔵元の管理を行わせた。現在、久米島町の真謝(まじゃ)には蔵元の建物はないが当時の石垣が残っており、旧仲里間切蔵元石牆(せきしょう)として国の重要文化財に指定されている。

[高良倉吉]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蔵元」の意味・わかりやすい解説

蔵元
くらもと

江戸時代,大坂などにおかれた諸藩の蔵屋敷で蔵物の出納売却などを管理した人。当初は藩派遣の蔵役人がこれにあたったが,寛文年間 (1661~73) 頃から商人があたるようになった。これら町人蔵元は普通,藩から扶持米 (→扶持 ) を給され武士に準じる扱いを受け,蔵物の売却にあたって口銭を得,また売却に関連して莫大な投機的利潤をあげた。蔵元には掛屋 (かけや) を兼ねる者が多く,大名をしのぐほどの経済的実力をもつ者もあった。岡山藩,広島藩,福岡藩などの蔵元をつとめた鴻池家,同じく松江,高松,久留米諸藩の天王寺屋,姫路,松山,熊本諸藩の平野屋は有名である。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「蔵元」の解説

蔵元
くらもと

江戸時代,大坂・江戸・敦賀・大津・長崎などにおかれた諸藩の蔵屋敷で蔵物の売却や出納をつかさどった商人。多くの場合掛屋(かけや)を兼ねた。はじめは藩の蔵役人が担当したが,17世紀中頃から富商が行うようになった。この場合,諸藩から扶持米を給与されたり,蔵物を売却する際に口銭を与えられ,何かと利益が大きかった。このため大商人は競って蔵元・掛屋になろうとし,18世紀中頃の大坂には,100人をこえる蔵元が存在した。諸藩は蔵物を売却した収入で藩財政を運用していたが,やがてこの売却代金だけでは不十分となり,蔵元・掛屋からの融通に依存するようになった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「蔵元」の解説

蔵元
くらもと

江戸時代,蔵屋敷の蔵物の保管・出納 (すいとう) を扱った商人
初めは武士である蔵役人が分掌したが,17世紀後期からは豪商が担当し,掛屋・用達を兼ねる者が多く,しだいに蔵屋敷の実権を握り,大名財政の死命を制するようになった。

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世界大百科事典(旧版)内の蔵元の言及

【大名貸】より

…その米切手は未着米に発行されたという意味で〈先納切手〉,また実米の裏づけがないという意味で〈調達切手〉と俗称された質入切手である。浜方の大名貸が増大し,蔵元や掛屋にも浜方出身者が進出し,これを含めて数人の館入(立入)が扶持・知行を与えられて恒常的に貸付けに応じ,江戸仕送りも数人の館入に分担された。この段階での大名貸の推移は米切手売高と実米登高とのへだたりの度合に集約されており,これを把握する蔵元が藩の経済力を熟知して藩財政に助言を与え,貸手を統轄して大名貸を合理的に処理しようとした。…

※「蔵元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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