蔵元
くらもと
江戸時代,大坂などにおかれた諸藩の蔵屋敷で蔵物の出納売却などを管理した人。当初は藩派遣の蔵役人がこれにあたったが,寛文年間 (1661~73) 頃から商人があたるようになった。これら町人蔵元は普通,藩から扶持米 (→扶持 ) を給され武士に準じる扱いを受け,蔵物の売却にあたって口銭を得,また売却に関連して莫大な投機的利潤をあげた。蔵元には掛屋 (かけや) を兼ねる者が多く,大名をしのぐほどの経済的実力をもつ者もあった。岡山藩,広島藩,福岡藩などの蔵元をつとめた鴻池家,同じく松江,高松,久留米諸藩の天王寺屋,姫路,松山,熊本諸藩の平野屋は有名である。
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蔵元【くらもと】
(1)江戸時代,大名・旗本などが自領の産物を売るため大坂や大津・堺などの諸都市に置いた蔵屋敷の構成員。蔵物の出納を行う。17世紀半ばごろから蔵米仲買の町人がこの地位につき,金銀出納に携わる掛屋(かけや)を兼ね巨富を得た。(2)琉球王国時代,宮古・八重山・久米島(くめじま)などに設けられた地方行政機関。首里(しゅり)王府の島嶼(とうしょ)支配の拠点となっていた。
→関連項目米会所|御用商人|札差|本両替
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蔵元
くらもと
江戸時代,蔵屋敷の蔵物の保管・出納 (すいとう) を扱った商人
初めは武士である蔵役人が分掌したが,17世紀後期からは豪商が担当し,掛屋・用達を兼ねる者が多く,しだいに蔵屋敷の実権を握り,大名財政の死命を制するようになった。
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くらもと【蔵元】
江戸時代,大名(藩),旗本などの諸領主が大坂,大津,堺などの諸都市に置いた貢租米や特産品の販売担当者,あるいはその職務。一般的には,これら諸都市に置かれた蔵屋敷の主たる構成員として,蔵物の管理,出納を行う者,あるいはその職務をさす。大坂に置かれた蔵屋敷の場合,江戸時代の初めには各藩から派遣された武士の蔵元がみられたが,寛永年間(1624‐44)以降,しだいに町人がその任にあたるようになった。これを町人蔵元とよぶが,このような傾向は寛文年間(1661‐73)以降一般的なものとなり,元禄年間(1688‐1704)では100名以上に及んだ。
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世界大百科事典内の蔵元の言及
【大名貸】より
…その米切手は未着米に発行されたという意味で〈先納切手〉,また実米の裏づけがないという意味で〈調達切手〉と俗称された質入切手である。浜方の大名貸が増大し,蔵元や掛屋にも浜方出身者が進出し,これを含めて数人の館入(立入)が扶持・知行を与えられて恒常的に貸付けに応じ,江戸仕送りも数人の館入に分担された。この段階での大名貸の推移は米切手売高と実米登高とのへだたりの度合に集約されており,これを把握する蔵元が藩の経済力を熟知して藩財政に助言を与え,貸手を統轄して大名貸を合理的に処理しようとした。…
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