黒羽村(読み)くれはむら

日本歴史地名大系 「黒羽村」の解説

黒羽村
くれはむら

[現在地名]引田町黒羽

馬宿うまやど川の中流域に位置する。南に矢野やの山・たちばな山・保田奥ほだおく山などの低い山地があり、北部に馬宿川東岸の沖積地が広がる。西は川を隔てて吉田よしだ村、北は馬宿村に接する。「三代物語」に呉服くれはと記すところから渡来人の居住を考える説がある。室町時代に黒羽城が築かれ、城主永塩氏継は応仁の乱で東軍に属して京都相国寺合戦で討死したと伝える(三代物語)。寛永国絵図では引田郷に含まれる。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では村高二〇七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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