和服用織物で小幅物(並幅)を総称していう。また反物、布帛(ふはく)、布をさす。
江戸時代には、麻・木綿などの織物を太物(ふともの)と称したのに対して、絹織物を呉服と称した。
小袖(こそで)(着物)1着できる長さを反物といい、布幅は着尺幅9寸4~5分(約36センチメートル)、長2丈8~9尺(約11メートル)。
応神(おうじん)天皇・雄略(ゆうりゃく)天皇の時代に呉の国(中国の江南)より縫工女呉織(きぬぬいめくれはとり)(呉服)・漢織(あやはとり)(穴織)が渡来し、優れた絹織物を生産した。転じてその手法によるわが国の織物の名称となる。
呉服の名は『うつほ物語』田鶴の村鳥巻にみえる。『人倫訓蒙図彙(きんもうずい)』に上品(じょうぼん)の着物を呉服、『女重宝記』に小袖はごふくとある。当時の小袖は絹物の綿入、太物の綿入を布子と称した。小袖の着尺は江戸初期まで、縫箔(ぬいはく)、摺箔(すりはく)に加えて鹿子(かのこ)類が多いが、のち染め模様に転じた。徳川禁令考によると、1626年(寛永3)反物の長3丈2尺、幅1尺4寸とあり、のちに長3丈4尺となる。
[藤本やす]
和服用織物の総称。江戸時代には,麻・綿織物などの太物(ふともの)に対し,絹織物をさした。おもに武士階層を顧客にしたので,呉服店は特権的な大商人にかぎられ,京坂の商人が江戸に集中した。三井越後屋などに代表される呉服店は,各地の絹織物生産地に買継商人や買宿をおき,呉服の買占めにあたらせた。江戸中期以降になると,農民・町民の間にも呉服の需要が広がった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…呉服を売買する商人およびその店。呉服はもともとは絹織物を指し,綿織物,麻織物の太物(ふともの)と区別されていたが,現在では着尺(きじやく)織物の総称となっている。…
…諸地方から江戸へ送られる米は,上方からのものは下り米問屋,関東からのものは関東米穀三組問屋を経てともに河岸八町米仲買から脇店八ヶ所組米屋,また関東ならびに奥州からのものは地廻米穀問屋から脇店八ヶ所組米屋へ売られ,搗米屋から消費者の手に渡った。 近世の商品のなかで大きい地位を占めた呉服は趣味性の強い商品であった関係もあって,蔵物・納屋物とは異なった多様な流通経路をたどった。西陣で織られた絹織物は,上仲買の手をへて下仲買(室町問屋)の手に渡り,それが消費地へ送られるのが原則的な形であったが,京都に本拠をおき,江戸へ進出して発展した大呉服商(越後屋,白木屋,大丸屋など)は,おおむね次のような形をとった。…
※「呉服」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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