朝日日本歴史人物事典 「黙譜祖忍」の解説
黙譜祖忍
鎌倉末期の曹洞宗の尼でその支援者。能登国羽咋郡中河村(石川県羽咋市)の地頭,酒勾頼親の娘で,信濃国(長野県)を本貫とする海野信直の妻。夫と共に曹洞宗中興の祖で,加賀(石川県)大乗寺の2世住持であった瑩山紹瑾 に師事。延慶3(1310)年から能登国鹿島郡酒井保(羽咋市)内の山野の買得を進め,鎌倉幕府の承認を得たうえで,この地を紹瑾に寄進した。ここに建立されたのが紹瑾門流の根本道場のひとつ,永光寺であり,祖忍は同寺の本願主,本檀那と呼ばれた。正式に紹瑾から得度を許されたのは元亨1(1321)年で,これは曹洞宗史上,最初の正規の尼とされている。翌年から,紹瑾が山内に建立した円通院の庵主を勤めたあと,正中2(1325)年には,紹瑾が母の菩提を弔うために建立した加賀宝応寺の房主に任命された。<参考文献>『永光寺文書』『洞谷記』,嶺南秀恕『日本洞上連灯録』
(牛山佳幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報