上真下村(読み)かみましもむら

日本歴史地名大系 「上真下村」の解説

上真下村
かみましもむら

[現在地名]児玉町上真下・共栄きようえい神川かみかわ元原もとはら

吉田林きたばやし村・八幡山はちまんやま町の北に位置し、北は下真下村、西は賀美かみ八日市ようかいち(現神川町)児玉党真下氏の名字の地とされ、かつては当村および下真下村一帯は真下と称されていたとみられる。児玉党系図(諸家系図纂)によると、武蔵権守児玉家行(児玉党の祖と伝える有道遠峯の孫)の弟基行は真下五郎大夫、基行の子弘忠は真下太郎を称している。建久元年(一一九〇)一一月七日の源頼朝入洛の際に真下太郎、暦仁元年(一二三八)二月一七日の将軍藤原頼経入洛の際には真下右衛門三郎が供奉した(吾妻鏡)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報