下野沢新田村(読み)しものざわしんでんむら

日本歴史地名大系 「下野沢新田村」の解説

下野沢新田村
しものざわしんでんむら

[現在地名]遊佐町野沢のざわ

下野沢村の南にあり、西は京田きようでん村。寛永九年(一六三二)二月、由利ゆり仙北せんぼく両郡(現秋田県)に欠落した多くの農民が翌年連戻され、同一一年に開発した新田の一つ(「大庄屋例帳」飽海郡誌)。同一六年の下野沢新田畠高帳(菅原文書)によれば下畠一反四畝余、高八斗八升、肝煎与助、百姓仁蔵・喜三郎甚五郎・源右衛門・助三郎・七蔵の名がみえる。明暦二年(一六五六)の検毛帳(飽海郡誌)では高六六石余。寛文七年(一六六七)検地帳(阿部文書)では高六七石余、田畑合計六町五反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報