日本歴史地名大系 「下野沢村」の解説 下野沢村しものざわむら 山形県:飽海郡遊佐町下野沢村[現在地名]遊佐町野沢(のざわ)上野沢村の西にあり、高瀬(たかせ)川中流左岸に位置する。内郷(うちごう)街道が通っていた(「正保庄内絵図」本間美術館蔵)。宅田(たくでん)には縄文・奈良―室町時代の、石田(いしだ)には奈良―平安時代の集落跡がある。庄内と由利(ゆり)郡(現秋田県)の要路桑(くわ)ノ森(もり)道は治安が悪いため、武藤義氏はこの道を閉鎖し、その仕置を三つに分け、中を当村の菅原左馬介に監督させ、三千束刈を給した(「山仕置書物」菅原文書)。天正一三年(一五八五)と推定される一二月一日の土佐林甲斐入道書状(同文書)によれば、下塔(しもと)(当)・下野沢の両村と北目(きため)村との間で山論が起きたが、北目村が勝訴した。同一四年当村と北目村の間で北目川(現高瀬川)境の争論があり、武藤義興の裁許で当村の勝訴となった(「武藤義興書状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by