井尻郷(読み)いじりごう

日本歴史地名大系 「井尻郷」の解説

井尻郷
いじりごう

現上井尻および隣接する山梨市下井尻付近に比定される。居尻とも記される。応安二年(一三六九)五月には「八幡庄安田郷下井尻村延命禅師」で大般若経の書写が行われている(野尻倹之助氏蔵「大般若経」奥書)。文安二年(一四四五)一一月一五日の武田信重寺領目録写(甲斐史料集成稿)に「井尻之内」の「当庵敷地」がみえ、当地にあった向嶽こうがく庵の敷地が安堵されている。享徳三年(一四五四)一一月一三日に塩田国安から向嶽寺に寄進された茶畠は「井尻之かうの内志やうし屋敷」の公方年貢五〇〇文の地で、国安が清広侍者より二〇貫文で永代買得したものであった(「塩田国安寄進状」向嶽寺文書)。同所はその後不知行となったが、永正一五年(一五一八)三月二八日国安の曾孫とみられる宮内大輔信秀により改めて向嶽寺に寄進された(「宮内大輔信秀証文」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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