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向嶽寺 コウガクジ

デジタル大辞泉の解説

こうがく‐じ〔カウガク‐〕【向嶽寺】

山梨県甲州市にある臨済宗向嶽寺派の大本山。山号は塩山。開創は天授6年=康暦2年(1380)、開基は武田信成、開山は抜隊得勝(ばっすいとくしょう)。向嶽庵と称したが、天文16年(1547)現寺号に改称。寺宝「達磨図」は国宝。向嶽元中禅寺。

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百科事典マイペディアの解説

向嶽寺【こうがくじ】

山梨県甲州市にある臨済宗向嶽寺派の本山。本尊釈迦如来。1380年抜隊(ばっすい)得勝を開山として武田信成が創建。信玄が寺地を寄進するなど武田氏の援助で栄えたが,その滅亡とともに衰え,のち徳川氏によって再興された。

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世界大百科事典 第2版の解説

こうがくじ【向嶽寺】

山梨県塩山市にある寺。山号は塩山。臨済宗向嶽寺派の本山である。開山は法灯(ほつとう)派の抜隊(ばつすい)得勝(1327‐87)で,1380年(天授6∥康暦2)武田信成が創建した向嶽庵に始まり,85年(元中2∥至徳2)後亀山天皇の勅願所となる。1547年(天文16)後奈良天皇勅願寺となり,庵号を向嶽寺と改称し,武田信玄も保護に尽力した。武田氏滅亡のあと,83年(天正11)徳川家康から朱印地36石余の寄進を受け保護されたが,1782年(天明2)火災で諸堂宇を失った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

向嶽寺
こうがくじ

山梨県甲州市塩山(えんざん)上於曽(かみおぞ)にある臨済(りんざい)宗向嶽寺派の大本山。塩山と号し、詳しくは向嶽元中禅寺(げんちゅうぜんじ)という。1380年(天授6・康暦2)武田信成(のぶなり)が抜隊得勝(ばっすいとくしょう)を開山として建立、向嶽庵(あん)と称したのに始まる。1385年(元中2・至徳2)後亀山(ごかめやま)天皇の勅願所となる。法燈(ほうとう)派の法を嗣(つ)いだ抜隊を慕って全国から1000余人の雲水が向嶽寺に集まったといわれる。1547年(天文16)後奈良(ごなら)天皇の詔(みことのり)を賜り、向嶽寺と改められ、出世道場とされた。武田晴信(信玄)も中興を図り、最盛時には41院、末寺700か寺があったと伝えられる。武田氏の滅亡後は徳川家の保護を受けたが、1786年(天明6)の大火で伽藍(がらん)を失い、中門だけが残った。現在の諸堂はその後の再建で、寺内に専門道場をもつ。絹本著色達磨図(だるまず)(国宝)、頂像(ちんぞう)などの寺宝がある。[菅沼 晃]

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世界大百科事典内の向嶽寺の言及

【甲斐国】より

…中世の甲斐は文化の面でも鎌倉と関係が深く,著名な禅僧が入国したり,日蓮が身延山を開いたりした。臨済宗は13世紀の後半,二度にわたって甲斐に流された鎌倉建長寺開山宋僧蘭渓道隆(らんけいどうりゆう)によって基礎が築かれたが,1330年(元徳2)夢窓疎石が笛吹川上流牧荘に恵林寺(塩山市)を,その半世紀後抜隊得勝(ばつすいとくしよう)が塩山のふもとに向嶽寺(同)を建て,ますます繁栄におもむいた。また日蓮は,1274年(文永11)甲斐源氏の一族波木井実長の招きを受けて身延の地に久遠寺(くおんじ)を建てた。…

※「向嶽寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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