多田 武雄(読み)タダ タケオ

20世紀日本人名事典 「多田 武雄」の解説

多田 武雄
タダ タケオ

大正・昭和期の海軍少将 海軍次官。



生年
明治23(1890)年10月7日

没年
昭和28(1953)年3月3日

出生地
岩手県

学歴〔年〕
海軍兵学校(第40期)〔明治45年〕卒

経歴
井上良馨元帥副官、蔦、楢各艦長、練習艦隊参謀を経て、昭和9年鶴見艦長となり、ついで霧島艦長、第三遣支艦隊参謀長、興亜院調査官などをつとめ、15年少将に昇進する。16年第二十一航空戦隊司令官に就任、17年南西方面艦隊参謀長兼第二南遣艦隊参謀長、18年第十三航空艦隊参謀長を兼任。19年に帰国し、航空本部総務部長、海軍省軍務局長をつとめ、20年海軍次官に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多田 武雄」の解説

多田武雄 ただ-たけお

1890-1953 大正-昭和時代前期の軍人
明治23年10月7日生まれ。鶴見,霧島の艦長をへて,昭和16年第二十一航空戦隊司令官,17年南西方面艦隊兼第二南遣艦隊参謀長などを歴任する。海軍省軍務局長をへて,20年米内(よない)光政海相のもとで海軍次官をつとめた。中将。昭和28年3月3日死去。62歳。岩手県出身。海軍兵学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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