日見浦(読み)ひみうら

日本歴史地名大系 「日見浦」の解説

日見浦
ひみうら

[現在地名]津久見市日見

津久見湾に面する四浦ようら半島の北岸基部付近に位置し、西は千怒ちぬ村。宝徳二年(一四五〇)四月一日の薬師寺新九郎給所坪付(薬師寺文書)に日見とみえ、佃請料として畠三段半、分銭七貫文、また地内のかむりは田一段六〇歩、分銭七八二文であった。江戸時代は佐伯藩領津久見浦組を構成する一村であった。「豊後国志」によると津久見に属し、享和三年(一八〇三)の郷村仮名付帳(佐伯藩政史料)では津久見村枝郷とされ、村内に小浦こうら地名が記される。正保郷帳では津久見郷に属し、田方六四石余・畑方一二八石余、日損所で柴山がある。元禄一三年(一七〇〇)の国東速見大分海部郡郷帳違目録(臼杵藩政史料)には「津久見村之内日見浦」とみえ、当無高。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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