現津久見市域のうち
守護領臼杵庄のうち津久見に給所を安堵されている氏族には津久見氏・薬師寺氏・若林氏・鳩氏・奈須氏らがおり、その給所は貫高表示となっている(年月日未詳「若林仲秀給所坪付」文化庁蔵若林文書など)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大分県東部,豊後水道の津久見湾に臨む市。1951年市制。人口1万9917(2010)。山が海にせまり,典型的リアス式海岸が発達する。湾奥にわずかに低地があり,市街が発達,JR日豊本線,国道217号線が通じている。東九州自動車道のインターチェンジもある。三方を囲む山地は古生代二畳紀の石灰岩脈からなり石灰石が採掘され,セメントの町として発展した。岩脈は水晶山地区を東端として,南西方向に約20kmにわたって連続しており,鉱床の幅も500~1700mに達する。鉱床にはマグネシウム含有分が高い部分があり,ドロマイトとして採掘しているところもある。石灰石の生産は文久年間(1861-64)の農業用石灰の焼成に始まるが,1918年以降のセメント用石灰石の採掘と38年の小野田セメント(現,太平洋セメント)の工場建設によって本格的な生産に入った。現在石灰石は階段式採掘法により年間約3300万tを生産する。この数字はこの地区で稼働している数社の合計であるが,日本最大の石灰石産地となっている。津久見港は1951年重要港湾に指定された貿易港で,石灰石,セメントを輸出する。ミカンの産地としても知られ,背後の斜面に約640haのミカン畑が広がる。市内上青江尾崎の小ミカン先祖木(せんぞぎ)(天)は樹齢800年といわれ,いまなお毎年実をつける。四浦(ようら)半島先端にある保戸島はマグロはえなわ船の基地である。
執筆者:勝目 忍+山口 梅太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大分県南東部にある市。豊後(ぶんご)水道西側リアス海岸の一湾、津久見湾に面する。1951年(昭和26)津久見町と日代(ひじろ)、四浦(ようら)、保戸島(ほとじま)の3村が合併して市制施行。市名は中世の津久見浦による。九州山地東部にあたる彦(ひこ)岳など500~600メートルの古生層山地に囲まれ、湾頭の小平地に市街が発達する。JR日豊(にっぽう)本線と国道217号が通じ、東九州自動車道の津久見インターチェンジがある。周囲の砂岩の風化した壌土よりなる急斜面に約600ヘクタールの温州(うんしゅう)ミカン、サンクィーン、夏ミカンなどの農園が広がり、缶詰工場もある。石灰は臼杵藩(うすきはん)の特産であった。1919年(大正8)セメント工場ができてからは石灰岩の採掘が大規模になり、太平洋セメントの工場をはじめ、石灰や炭酸カルシウムの工場が海岸に並び、石灰岩・セメントはアジア諸国に輸出される。湾口の保戸島はマグロ延縄(はえなわ)漁業の基地。1本で4アールに及ぶ尾崎小ミカン先祖木(おさきこみかんせんぞぼく)(国指定天然記念物)や大友宗麟(そうりん)の墓がある。面積79.48平方キロメートル、人口1万6100(2020)。
[兼子俊一]
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