東萩間村(読み)ひがしはぎまむら

日本歴史地名大系 「東萩間村」の解説

東萩間村
ひがしはぎまむら

[現在地名]相良町東萩間

西萩間村の北に位置し、萩間川の最上流域に立地する。東は城東きとう小沢こざわ村・牛淵うしぶち(現菊川町)。文禄二年検地高目録に村名がみえ、高三三一石余。江戸時代の領主変遷は西萩間村と同じ。正保郷帳では田方二五一石余・畑方五八石余、ほかに和光庵(曹洞宗知光庵、現廃寺)領二石・西ノ宮明神領一石がある。元禄郷帳では高三五四石余。旧高旧領取調帳では伊勢長島藩領三九二石余、ほかに神明社領一石などがある。延享四年(一七四七)村差出帳(河原崎家文書)では家数九五・人数四三三、牛一三・馬四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報