羽生館跡(読み)はにゆうやかたあと

日本歴史地名大系 「羽生館跡」の解説

羽生館跡
はにゆうやかたあと

[現在地名]玉造町羽生

羽生の中央、字城山しろやま台地にある。承安四年(一一七四)常陸介高階経仲がたちばな郷を鹿島神宮に寄進したので、鹿島大禰宜中臣則親がこの地に館を築いて居所とし、羽生氏と称したと伝承される。「新編常陸国誌」には「大禰宜ノ宅跡羽生村ニ存シテ除地ナリ、今ハコヽヲ館趾ト呼テ、除地ヨリ三石九斗壱升五合ノ貢ヲ、年々大禰宜家ニ収納スト云フ」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報