鹿島神宮(読み)カシマジングウ

デジタル大辞泉 「鹿島神宮」の意味・読み・例文・類語

かしま‐じんぐう【鹿島神宮】

茨城県鹿嶋市にある神社。旧官幣大社。主祭神は武甕槌神たけみかづちのかみ。古くから武神として東国の武士に信仰された。社殿は重要文化財常陸ひたち一の宮

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精選版 日本国語大辞典 「鹿島神宮」の意味・読み・例文・類語

かしま‐じんぐう【鹿島神宮】

  1. 茨城県鹿嶋市宮中にある神社。旧官幣大社。祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)。古くから武神として崇拝された。延喜式内名神大社。常陸国一の宮。

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日本歴史地名大系 「鹿島神宮」の解説

鹿島神宮
かしまじんぐう

[現在地名]鹿島町宮中

鹿島台地の南端近くに鎮座する。境内は椎・樅・杉などの樹木が鬱蒼と茂り、周辺は水郷筑波国定公園に含まれる。往古の神地の状況を「常陸国風土記」は、

<資料は省略されています>

と記す。現在の参道は北浦にかかる神宮じんぐう橋から大船津おおふなつを経て東に通じる。境内西の石造の大鳥居から表参道を東進し、楼門をくぐると右手に北面する拝殿と本殿がある。「鹿島宮社例伝記」は本殿を不開御殿とよび、「北向御座、雖本朝之神社多、北方向立給社稀也、鬼門降伏東征静謐鎮守、(中略)御神体正東向」と記す。本殿の後ろに接して神木の杉、また玉垣を介して後方にかがみ石とよばれる径八〇センチの石があり、延文元年(一三五六)一〇月の大宮司中臣則密等連署天葉若木事注進案(鹿島神宮文書)によれば、神宮創祀の場所ともいう。東神門から樹叢に囲まれた奥参道を東進し、同じく北面する奥宮に至る。その南にかなめ石、北に下ると御手洗みたらし池に通じる。神宮の門前町が形成される中世以前は、大船津の津東西つとうざい社から溺谷(かつて宮下川が流れていたが、現在は暗渠)を舟で御手洗池まで進み、そこで潔斎して参宮したと考えられる。旧官幣大社。

〔草創〕

「常陸国風土記」に大化五年(六四九)として

<資料は省略されています>

とあり、現在の摂社坂戸さかと社・沼尾ぬまお社とともに香島の天の大神と総称される。「延喜式」神名帳には名神大社として朝廷の月次・新嘗祭奉幣にあずかり、下総国香取神宮とともに神宮と称される。「続日本紀」宝亀八年(七七七)七月一六日条に「内大臣従二位藤原朝臣良継病、叙其氏神鹿島社正三位、香取神正四位上」とあるように摂関家藤原氏の氏神で、常陸国一宮でもあり(一宮記)、「常陸国風土記」は「伝駅使等、初めて国にらむには、先づ口と手とを洗ひ、東に面きて香島の大神を拝みて、然して後に入ることを得るなり」と記す。

大同二年(八〇七)成立の「古語拾遺」に「武甕槌神是甕速日神之子、今常陸国鹿島神是也」とあるように、祭神は武甕槌神で、「続日本後紀」承和三年(八三六)五月九日条に「奉授下総国香取郡従三位伊波比主命正二位、常陸国鹿島郡従二位勲一等建御賀豆智命正二位」、「延喜式」春日祭祝詞に「鹿島坐健御賀豆智命」などと記される。武甕槌神は「古事記」「日本書紀」によれば、伊弉諾尊が火神軻遇突智を切った十握剣に付着した血から生成し、「古事記」に「建御雷の男神、亦の名は建布都神たけふつのかみ、亦の名は豊布都神とよふつのかみ」と記す。武甕槌神は天孫降臨に先立つ葦原中国平定に出雲の大己貴神(大国主神)から国譲りを受け(「日本書」では「古事記」にみえない香取神宮の祭神経津主神も派遣される)、次いで神武天皇東征の途上、紀伊国熊野で高倉下を介して平国横刀を授けるなど、記紀神話の国土平定の武神として活躍する。

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改訂新版 世界大百科事典 「鹿島神宮」の意味・わかりやすい解説

鹿島神宮 (かしまじんぐう)

茨城県鹿嶋市に鎮座。常陸国の一宮。旧官幣大社。祭神は武甕槌(たけみかづち)神(建御雷神)。《常陸国風土記》には649年(大化5)に神郡がおかれ,そこにあった天の大神の社,坂戸の社,沼尾の社をあわせて〈香島の天の大神〉といい,〈豊香島の宮〉と名づけられ,また崇神天皇のとき大刀,鉾,鉄弓,鞍などの武具が奉られたと記されている。《常陸国風土記》には武甕槌神の名はみえないが,武具の奉納からこの神が武神として信仰されていたことが知られる。866年(貞観8)に陸奥国内に38社の苗裔(びようえい)神が存在したこと,また社殿が北面していることなどは,大和朝廷の蝦夷平定に武神としてここの神が関与していたことを示している。また《常陸国風土記》にこの神が中臣鹿島連の祖に命じて舟を造らせたとあるのは,朝廷の東北進出と関係するものであった。中央の藤原氏は武神である鹿島と香取の神を信仰し,平城京遷都のおり,春日野にこの2神を勧請し,765年(天平神護1)には鹿島の封戸から20戸を割いて春日社にあてた。藤原氏の氏神とされたことから,777年(宝亀8)に正三位,836年(承和3)に正二位,839年には従一位,850年(嘉祥3)には正一位と神階がすすめられた。《延喜式》では〈鹿島神宮〉と呼ばれ名神大社とされ,祈年,月次,新嘗の祭りには案上の幣帛が奉られ,神官として,宮司,禰宜,祝部各1名,物忌1名がおかれた。神職は奈良時代に中臣鹿島連,平安初期に大中臣氏,そののちふたたび中臣氏がつくようになったようで,その任免権は摂関家がもっていた。天平勝宝年中(749-757)に祝の中臣大宗(おおむね)と鹿島郡大領中臣千徳(ちとこ)が僧満願とともに神宮寺を建立したと伝えられ,神宮寺は837年(承和4)に定額寺に列した。本地仏は不空羂索観音であった。中世に入り源頼朝の武神である鹿島社への信仰はあつく社領を寄進し,土着の鹿島氏を惣大行事に任じている。鎌倉時代になると1月7日の青馬(白馬)祭,7月10,11日の祭りは武士の巡役で行われる体制となった。1266年(文永3)の記録によると,当時の神職として大宮司,大禰宜,大祝部,物忌(女官),物忌父,宮介,権禰宜,和田権祝,益田権祝,物申権祝,田所権祝,惣大行事,検非違使,惣追補使,押領使等がみえる。幕府の関与により鎌倉後期以降は藤原氏の神宮への影響力は消えていった。一方,武士は一切経・法華経・大般若経等を寄進し,また忍性(にんしよう)も法華経を読誦している。武士の当社への信仰は室町・戦国時代にも変わらなかったし,要石(かなめいし),息栖(いきす)神社(摂社)の男瓶・女瓶などの伝承も生まれ霊験縁起の原型が形成された。武神であるので武道の場となり塚原土佐守は天真正伝神道流を学び,その孫養子(養子ともいわれる)の塚原卜伝(ぼくでん)は鹿島新当流の祖となった。1595年(文禄4)豊臣秀吉は常陸の検地を実施し,神官,供僧分として405石を認めた。1602年(慶長7)徳川家康は検地を実施し,新たに1500石を寄進したので,社領は2000石となり,1605年には造営遷宮も幕府の手でなされ,鹿島神宮は近世の支配体制のうちに位置づけられた。
鹿島信仰
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿島神宮」の意味・わかりやすい解説

鹿島神宮
かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市宮中に鎮座。武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祀(まつ)る。武甕槌大神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の命令を受けて、経津主神(ふつぬしのかみ)(香取(かとり)神宮の祭神)とともに、天孫降臨に先だち、高天原(たかまがはら)より出雲(いずも)国(島根県)に降(くだ)り、大国主神(おおくにぬしのかみ)と国譲りの交渉をしたと神話で語られる神で、神武(じんむ)天皇の大和(やまと)国(奈良県)入国にも天皇を守護したと伝えられるが、その神武天皇が即位ののち、神恩感謝のため当地に祀らせたのが本社の起源と伝承する。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に、そのあと崇神(すじん)天皇の代になり、大坂山に大神が現れ、中臣神聞勝命(なかとみのかむききかつのみこと)に神託し、それにより天皇は大刀(たち)、鉾(ほこ)、鉄弓など多くの幣物を奉ったと記し、さらに日本武尊(やまとたけるのみこと)のとき、神示により舟3隻を奉納したと記している。大和朝廷の東方経営とともに、武神としての本社が創建されたのであろう。古くより、中臣氏が奉仕している。『風土記』に神戸65烟と記すが、『新抄格勅符抄』に、786年(延暦5)に神封105戸と記す。奈良時代、九州防備に赴く東国の防人(さきもり)が、まず本社に詣(もう)でて出発したことより「鹿島立(だ)ち」の語が生じ、それが広く旅立ちの意に用いられたのは、本社が古くより知られていたためとみられる。

 812年(弘仁3)住吉(すみよし)・香取社とともに、20年に一度の式年遷宮の制度が定められ、866年(貞観8)ころには陸奥(むつ)国に苗裔(びょうえい)神38社があり、またそのころ神宮寺もあった。延喜(えんぎ)の制で名神(みょうじん)大社に列し、祈年(きねん)・月次(つきなみ)・新嘗(にいなめ)の奉幣を受けている。以後、平安時代にも皇室より一世一度の奉幣など、厚い崇敬を受けたが、その奉幣使を「鹿島使」とよび、駅路片道15日、乗馬で往復した。常陸国一宮(いちのみや)。鎌倉時代には源頼朝(よりとも)が崇敬し、あと武家も多く崇敬したが、室町中期以降、朝廷・武家の奉幣寄進がとだえ、ために社僧御手洗(みたらい)涼泉寺(りょうせんじ)別当良海上人(りょうかいしょうにん)が諸国を行脚(あんぎゃ)し、浄財を集め社殿造営にあたるようなこともあった。しかし、そのあと佐竹氏が神領を寄進、江戸時代に徳川家康がまた社領を寄せ、以後朱印領2000石となった。1605年(慶長10)家康造営の本殿は現在の奥宮であり、1619年(元和5)徳川秀忠(ひでただ)により、現本殿、拝殿、幣殿(いずれも国重要文化財)などが造営され、1634年(寛永11)水戸藩主徳川頼房(よりふさ)により楼門(国重要文化財)、忌垣(いみがき)などが構築された。明治の制で官幣大社となる。国宝の直刀・黒漆平文大刀拵(くろうるしひょうもんたちこしらえ)など宝物が多い。例祭は9月1日の神幸祭で、夜に提灯祭(ちょうちんまつり)が行われ、ほかに3月9日の祭頭祭(さいとうさい)、また午(うま)年9月2日の御船祭(おふなまつり)などがある。

[鎌田純一]

『東実著『鹿島神宮』(1968・学生社)』『鹿島神宮社務所編・刊『鹿島神宮』(1980)』


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百科事典マイペディア 「鹿島神宮」の意味・わかりやすい解説

鹿島神宮【かしまじんぐう】

茨城県鹿嶋市に鎮座。旧官幣大社。武甕槌(たけみかづち)神をまつり,延喜式内の名神大社。藤原氏の氏神とされた。常陸(ひたち)国の一宮で,全国鹿島神社の総本社。現在の社殿は1618年江戸幕府が造営したもので,本殿(国宝)が北向きになっているのが特徴。例祭は9月1〜3日で,ほかに祭頭祭(3月9日),12年に一度の大祭・御船祭などがある。→鹿島信仰
→関連項目蝦夷地春日大社香取神宮武甕槌神春祭常陸国船祭文正草子

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「鹿島神宮」の解説

鹿島神宮
かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市宮中に鎮座。式内社・常陸国一宮。旧官幣大社。祭神は武甕槌(たけみかづち)命を主神とし,経津主(ふつぬし)命・天児屋根(あめのこやね)命を合祀。武甕槌命は天孫降臨に先立ち葦原中国を平定した神。「常陸国風土記」には香島の天の大神とあり,孝徳朝に神郡がおかれたと伝える。当神社はもと当地方の航海神であったらしいが,香取神宮とともに大和朝廷の東国平定・支配に大きな役割をはたし,古くから軍神として大和朝廷に崇敬され,839年(承和6)従一位。また中臣氏の氏神ともなり,藤原氏は平城遷都にあたって鹿島・香取の神を春日神社に勧請。勅使鹿島使が派遣された。中世以降も源頼朝や徳川家康など武家から武神・軍神として信仰された。例祭は9月1日,7年ごとに勅使の下向がある。所蔵の直刀と黒漆平文大刀拵付刀唐櫃は国宝。本殿などは重文。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鹿島神宮」の意味・わかりやすい解説

鹿島神宮
かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市に鎮座する元官幣大社 (→官幣社 ) 。祭神はタケミカズチノカミ (建御雷神)。藤原氏の氏神として知られ,東国一の大社として,香取神宮とともに,関東,東北経営の守護神とされた。常陸国一の宮。例祭9月1日。奈良市の春日大社は,本社ほか3神を勧請し合祀したもの。国宝『直刀・黒漆平文大刀拵』を所蔵。

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旺文社日本史事典 三訂版 「鹿島神宮」の解説

鹿島神宮
かしまじんぐう

茨城県鹿嶋市にある神社。祭神は武神の武甕槌命 (たけみかずちのみこと)
初め地方神であったが,大和政権による東国の開発が進むにつれ中央にも尊崇される神となった。のち中臣氏(藤原氏)の氏神となり奈良春日神社に合祀された。中世以降武士に崇敬され,各地に分社が創設された。

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デジタル大辞泉プラス 「鹿島神宮」の解説

鹿島神宮

茨城県鹿嶋市にある神社。主祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。水戸初代藩主、徳川頼房が奉納した本殿は国の重要文化財に指定。同県息栖(いきす)神社、千葉県にある香取神宮とあわせて「東国三社」と呼ばれる。常陸国一之宮。

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事典 日本の地域遺産 「鹿島神宮」の解説

鹿島神宮

(茨城県鹿嶋市宮中2306-1)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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