花ヶ島町(読み)はながしままち

日本歴史地名大系 「花ヶ島町」の解説

花ヶ島町
はながしままち

[現在地名]宮崎市花ヶ島町・東大宮ひがしおおみや一―四丁目・南花みなみはな島町しまちようなど

南方みなみかた村の南東に位置する。宮崎郡に属し、北東は那珂郡芳士ほうじ村。南北飫肥おび街道が通る。寛永年間(一六二四―四四)以降に南方村から分郷したというが(日向地誌)、寛永一一年の指出(国乗遺聞)、万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚、「寛文朱印留」などにはみえない。延宝三年(一六七五)九月肥後から日向に入った橘三喜は、一五日都萬つま神社(現西都市)へ詣でて佐土原さどわら(現佐土原町)を通り、花ヶ島町に一泊している(一宮巡詣記)。水戸徳川光圀の命で諸国の史料調査の旅に出た水戸藩士佐々介三郎宗淳は、貞享二年(一六八五)七月二八日黒貫くろぬき(現西都市)へ向かう途中、花ヶ島を通っている(「筑紫巡遊日録」国会図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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