J.J.M.d.ラトル・ド・タシニー(その他表記)Jean Joseph Morie de Lattre de Tassigny

20世紀西洋人名事典 の解説

J.J.M.d. ラトル・ド・タシニー
Jean Joseph Morie de Lattre de Tassigny


1889.2.2 - 1952.1.11
フランス軍人
元・インドシナ高等弁務官兼最高指令官。
バンデー生まれ。
別名Jean de Lattre de Tassigny。
1913年サン・シール陸軍士官学校を主席で卒業後、’39年少将となる。’42年ドイツ軍の自由地帯進駐に反対してビシー政府に逮捕され、’43年脱走し自由フランス軍に参加。翌’44年には北アフリカ軍指令官を務める。戦後はドイツ駐留軍指令官、’48年NATO地上軍最高指令官を歴任し、’50年にはインドシナ高等弁務官、最高指令官を兼任し、第一次インドシナ戦争で指揮をとるが、’52年に病死死後元帥となる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む