阿部正倫(読み)あべ まさとも

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「阿部正倫」の解説

阿部正倫 あべ-まさとも

1745-1805 江戸時代中期-後期大名
延享2年2月9日生まれ。阿部正右(まさすけ)の3男。兄ふたりが早世し,父の跡をつぎ,明和6年備後(びんご)(広島県)福山藩主阿部家4代となる。奏者番,寺社奉行となり,出費増による苛政で天明7年の大一揆(いっき)を誘発。同年老中にすすむがまもなく辞任し,藩政の立て直しに尽力した。6年藩校弘道館を開設。享和3年隠居。文化2年8月21日死去。61歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の阿部正倫の言及

【備後国】より

…しかし,この改革は3年後に挫折し,1713年,18年両度における百姓一揆の主たる原因となった。 福山藩は1717‐18年松平忠雅のとき,定免(じようめん)制の廃止,年貢軽減を要求する全藩一揆が起こり,つづいて藩主阿部正倫になった1770年(明和7),86‐87年(天明6‐7)にも大規模な全藩一揆に見舞われた。老中を辞した正倫は,藩制改編,財政再建,農村改革を目標に寛政改革を推進した。…

【福山藩】より

…備後国(広島県)福山に藩庁を置いた譜代藩。領知高10万石。1619年(元和5)芸備両国を領していた福島正則改易のあと,水野勝成(かつなり)が大和国郡山から入封して成立。備後7郡と備中国小田,後月(しづき)郡の一部を領有した。勝成は幕府の配慮を得て,深津郡野上村を中心に城郭と城下町を建設し,領内外から商工業者の来往を誘致した。また領国経済の基礎を固めるため,大規模な新田を開発して新しい村や用水関係を整え,備後表(びんごおもて)や木綿栽培など商品作物を奨励した。…

※「阿部正倫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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