朝日日本歴史人物事典 「切上り長兵衛」の解説
切上り長兵衛
江戸前期,別子銅山の存在を住友の吉岡銅山に報知,元禄4(1691)年の稼行請負のきっかけを作った掘子(坑夫)。阿波(徳島県)出身。切上りとは,坑道を上向きに掘削するのが得意であったことによる異名である。住友家の記録「宝の山」によると,三河・津具金山,美濃・畑佐銅山,越前・面谷銅山で若いころ働き,石見・津和野領亀井谷銅山,播磨・桜銅山,豊後・大平銅山をかつて稼行し,出雲・佐詰銅山,豊前・香春銅山,薩摩・阿久根いらず山の様子を語ったとある。単なる渡りの掘子ではなく,掘子を抱える親方である金子か,零細な山師であった時期もあるのではあるまいか。<参考文献>住友修史室編『泉屋叢考』13輯,「宝の山」(『住友史料叢書』)
(今井典子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報