別子山(読み)べっしやま

日本大百科全書(ニッポニカ) 「別子山」の意味・わかりやすい解説

別子山
べっしやま

愛媛県東部、宇摩郡(うまぐん)にあった旧村名(別子山村(むら))。現在は新居浜市(にいはまし)の南部を占める地域。2003年(平成15)新居浜市に編入銅山(どうざん)川上流域の山村。1691年(元禄4)に別子銅山本山(ほんざん)坑が開発され、最盛期の明治時代には人口1万余の鉱山町となった。その後1899年(明治32)の山津波で精錬の中心が新居浜側に移り、四阪(しさか)島にも製錬所が設置されて衰退し、1973年(昭和48)の筏津(いかだづ)坑閉山で280年にわたる鉱山町の歴史を閉じた。林業やアマゴ養殖などが営まれている。

[横山昭市]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「別子山」の意味・わかりやすい解説

別子山
べっしやま

愛媛県東部,吉野川の支流銅山川渓谷に沿う地域。旧村名。銅山川上流域の旧別子地区は別子銅山開坑の地で,村民大部分は銅山関係の労働者とその家族であった。最盛期の明治中期には人口1万余を数えにぎわったが,1973年に閉山。 2003年新居浜市に編入。スギヒノキを中心とした林業を主とする。ゴヨウマツ原生林や 120種に及ぶ高山植物分布夏季は渓谷美と銅山跡を求めて訪れる人が多い。

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