日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本婦人有権者同盟」の意味・わかりやすい解説
日本婦人有権者同盟
にほんふじんゆうけんしゃどうめい
第二次世界大戦後もっとも早く組織された女性団体。1945年(昭和20)11月、市川房枝(ふさえ)を会長に、政治運動と政治学習活動の促進を目的として「新日本婦人同盟」の名称で設立された。女性の政治参画に対する市川の情熱や運動と連動して活動。1947年、市川の公職追放があり一時活動が衰退したが、追放解除後の1950年11月、「日本婦人有権者同盟」に改称。以来、「平等、福祉、政治浄化、世界恒久平和」を理念に、国会と女性を結び付ける運動を推し進めた。1970年代からの「理想選挙運動」「ストップ・ザ・汚職議員運動」では市民団体と共同して活動を繰り広げ、政治の変革要求を行ったことが若い世代を含む多くの市民の共感をよんだ。1975年の国際婦人年以降、男女共同参画時代に即した政治運動を展開。1981年の市川没後、会長(当時)紀平悌子(きひらていこ)(1928―2015)は平和運動、護憲運動、脱原発の活動を推進した。機関紙『婦人有権者』を発行。本部は渋谷区にあり、2012年(平成24)時点の会員数は約2000人であった。2016年4月、会員の高齢化や会員数の減少により解散。
[関千枝子 2016年11月18日]
『日本婦人有権者同盟編・刊『日本婦人有権者同盟年表 参政権と歩んだ40年 1945年~1985年』(1985)』▽『日本婦人有権者同盟編・刊『日本婦人有権者同盟年表 参政権と歩んだ45年 1985年~1990年』(1990)』▽『日本婦人有権者同盟編・刊『日本婦人有権者同盟年表 参政権と歩んだ50年 1990年~1995年』(1995)』▽『日本婦人有権者同盟編『日本婦人有権者同盟年表 参政権と歩んだ55年 1995年~2000年』(2000・日本婦人有権者同盟創立55周年記念事業実行委員会)』▽『日本婦人有権者同盟編『日本婦人有権者同盟年表 参政権と歩んだ60年 2000年~2005年』(2005・日本婦人有権者同盟創立60周年記念事業実行委員会)』