公職追放(読み)コウショクツイホウ

デジタル大辞泉 「公職追放」の意味・読み・例文・類語

こうしょく‐ついほう〔‐ツイハウ〕【公職追放】

重要な公職から特定の者を排除する処置。昭和21年(1946)1月に出されたGHQの覚書に基づき、軍国主義者・国家主義者国会議員報道機関・団体役職員などの公職から追放し、政治的活動も禁じた。同27年のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い、自然消滅。→教職追放

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精選版 日本国語大辞典 「公職追放」の意味・読み・例文・類語

こうしょく‐ついほう‥ツイハウ【公職追放】

  1. 〘 名詞 〙 重要な公職から特定の者を排除する制度。昭和二一年(一九四六)一月に出された連合国最高司令官の覚書に基づき、国会議員、官庁職員、地方公共団体の職員や議会の議員、特定の会社、協会、報道機関その他の団体の職員などに適用され、軍国主義者、国家主義者とみなされた者はこれらの公職から追放となり、政治上の活動を禁止された。同二七年四月の対日講和条約の発効に伴い、自然消滅。

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改訂新版 世界大百科事典 「公職追放」の意味・わかりやすい解説

公職追放 (こうしょくついほう)

一般には共同体,団体,結社,行政組織などで,その内部秩序を保持して団結ないし活動の斉一性を維持・強化するために,一定の規律に違反したものを組織外に放逐し,また一定の活動資格を剝奪すること。ギリシアポリスで行われたオストラキスモスostrakismosやカトリック教会からの破門などは共同体からの追放である。〈村八分〉もこの一種。団体,結社からの追放には,除名,粛清がある。占領期日本の公職追放やレッドパージなどは行政組織からの追放の例である。

第2次大戦後,占領政策の一環として連合国が日本で行った。ポツダム宣言第6項〈日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は永久に除去せられざるべからず〉が追放政策の根拠とされた。1948年5月現在で約20万名が追放処分を受けているが,その内容は指導者追放となっている。1946年1月4日付で第1次公職追放の指令が日本政府あてに発せられた。〈(1)軍国主義的国家主義及侵略の活発なる主唱者。(2)一切の日本の極端なる国家主義的団体,暴力主義的団体又は秘密愛国団体及其の機関又は関係団体の有力分子。(3)大政翼賛会翼賛政治会又は大日本政治会の活動に於ける有力分子〉が追放の対象者とされ,該当者を〈公職public officeより罷免removeし且官職government serviceより排除exclude〉することが命令された。同時に玄洋社,黒竜会,金鶏学院等が〈日本の侵略的対外軍事行動の支持又は正当化〉の役割を果たしたなどの理由で廃止を命令された。追放対象者に関する上記3分類は,さらに七つのカテゴリーとして具体化された。A項=戦争犯罪人,B項=職業軍人憲兵隊・諜報機関の士官,兵,軍属,C項=極端な国家主義団体の有力分子等,D項=大政翼賛会等の有力分子,E項=日本の領土拡大に荷担した金融機関等,F項=占領地の行政長官,G項=その他の軍国主義者や超国家主義者たち。この七つのカテゴリーに従って,第1次公職追放として,閣僚,貴族院議員勅任官などの高級官吏,衆議院議員候補者等807名が公職から罷免され,260名が政府機関への就職を禁止された。

 公職追放は,さらに地方政府機関や財界,言論出版界等に拡大されるよう指令され,日本政府は1947年1月4日付〈ポツダム勅令〉第1号その他によって第2次公職追放を実施した。町村会長レベルにまで追放の枠を広げる方針に当時の吉田茂内閣は執拗な抵抗を試みたが,占領軍によって〈人民の思想,行動,日常生活〉を戦争の方向へ駆り立てるうえで〈直接の圧力〉をかけたとみなされ,〈最末端政府機関〉の関係者に対する追放は実施された。なお,第2次公職追放にあたっては,日本政府の施策として,主要役職者が追放される団体と,主要役職者が審査される団体の二分類がなされ,後者には一般主要民間企業が公職として含まれることになった。さらに公職が主要公職と普通公職に二分類され罷免についての緩和措置がなされた。主要役職員が審査される公職の中におもな新聞社,出版社,政党のほか一般企業,金融機関の多くが含まれた。第1次と第2次の公職追放の結果,20万1815名が官職を含む公職から罷免され排除された。これら第1次,第2次公職追放の該当者たちは,1950年以降,朝鮮戦争勃発のころから追放を解除されはじめた。52年,講和条約の発効とともに追放令は廃止される。

 占領行政としての公職追放は,占領政策の転換とともに公職追放の基準を転換させている。日本国民の戦争責任者追及の声を反映して第2次公職追放を町村会長レベルにまで拡大した占領軍であったが,朝鮮戦争勃発後は,日本共産党と朝鮮人団体の主要役職員を公職追放の対象者として選び,公職追放の意味内容を変質させた。なお,1945年10月における特高警察関係者の罷免と排除,学校教職員に対する審査と追放措置(教職追放),46年11月における労働行政関係職員の刷新措置,愛国的労働団体役職員の追放等もあったが,これらは公職一般からの追放処分とは異なった処置を受けている。
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百科事典マイペディア 「公職追放」の意味・わかりやすい解説

公職追放【こうしょくついほう】

俗にパージとも。1946年1月4日のGHQ覚書を契機として行われた戦争責任者,国家主義団体幹部などの戦争協力者の公職からの罷免(ひめん)および排除。〈日本人民を戦争に導いた軍国主義者の権力および影響力を永遠に除去する〉というポツダム宣言の精神に基づいて行われたもので,1947年1月4日の勅令で〈公職〉の範囲は広がり,追放は地方政界,財界,言論界に拡大され,1948年5月までに追放者は20万名を超えた。しかし1951年11月までに17万5000余名が解除。サンフランシスコ講和条約の発効に伴う追放令の廃止で全員解除。
→関連項目石橋湛山宇垣一成小野清一郎パージ平沼亮三ポツダム政令松村謙三矢次一夫山岡荘八レッドパージ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「公職追放」の意味・わかりやすい解説

公職追放
こうしょくついほう

一般的には政治家や行政官など公職にある者の追放をいうが、わが国では、1946年(昭和21)1月4日の連合国最高司令部覚書に基づく軍国主義指導者の公職からの追放をいう。追放の対象は、(A)戦争犯罪者、(B)職業軍人、(C)極端な国家主義団体などの幹部、(D)大政翼賛会などの幹部、(E)膨張政策に関与した金融機関の幹部、(F)占領地の行政長官など、(G)その他の軍国主義者であり、A項からG項まで分類された。ここでいう公職は、国会や地方議会の議員、官公庁や地方公共団体の職員だけでなく、特定の民間会社や報道機関なども含み、追放該当者は21万人以上に上った。公職追放は、当初から、自由党総裁鳩山(はとやま)一郎、石橋湛山(たんざん)、松本治一郎(じいちろう)の追放などのように政治的恣意(しい)や策謀が入り込む余地があった。49年以降、大幅な追放解除が進められる一方、50年6月の日本共産党幹部の追放をはじめとしたいわゆるレッド・パージに用いられるようになり、しだいに政治目的を濃厚に反映するようになっていった。

[五十嵐仁]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「公職追放」の意味・わかりやすい解説

公職追放
こうしょくついほう

第2次世界大戦後日本で,占領軍によって実施された追放の一つ。 1946年1月4日,占領軍当局はポツダム宣言に基づく日本民主化政策の一環として,「好ましくない人物の公職よりの除去覚書」を発した。これに基づき公職追放令が施行された。追放理由はA項からG項まで7項にわたり,被追放者は 21万人に上った。中央,地方の公職適否審査委員会の審査による追放指定のほか,重要な者には総司令部覚書による直接指定 (メモランダム・ケース) もあり,追放が政略的に使われた例もある。占領政策の転換につれて,50年以降レッド・パージに転用され,本来の趣旨が歪曲された。また 49年以降は追放解除の措置もとられ,52年4月の講和発効とともに自然消滅した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「公職追放」の解説

公職追放
こうしょくついほう

GHQが軍国主義者や極端な国家主義者を公職などから排除することを目的としてとった措置。1946年(昭和21)1月4日に出した覚書にもとづき,戦争犯罪人,職業軍人,極端な国家主義団体の指導者などの解職と再就職禁止措置がとられた。47年1月に財界・言論界,地方公職にも該当者の範囲が広がり,48年5月までに20万3660人が追放された。翼賛政治会・大日本政治会などの戦時政治家も該当したので戦後の政治指導者交代に大きな影響を与えたが,財界人の追放には経済復興をめざすアメリカ本国からの批判も強かった。50年10月から追放解除が始まり,52年4月,サンフランシスコ講和条約発効で全面的に解除された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「公職追放」の解説

公職追放
こうしょくついほう

第二次世界大戦後,GHQ により行われた民主化政策の一つ
1946年,GHQ の覚書により,職業軍人・戦争犯罪人・国家主義団体役員などが公職から追放されたが,'47年には地方政界・経済界・言論界にまで拡大。追放者は約21万人にも及んだ。朝鮮戦争後緩和され,サンフランシスコ平和条約の発効('52)により,全員が追放解除となった。

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世界大百科事典(旧版)内の公職追放の言及

【勅令】より

…緊急勅令には,暫定的な法律の性質をもつ立法的緊急勅令(8条)と緊急の財政処分をなす財政的緊急勅令(70条)の2種があり,政府権力を強化していた。とりわけ敗戦直後(1945年9月20日)の〈ポツダム緊急勅令〉(‘ポツダム′宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件)は,連合国最高司令官の要求を実施するためにとくに必要な場合には,命令の形式(ポツダム命令)で所要事項を定めかつ罰則を設けることを認めることにより政府に白紙的に授権し,これに基づき公職追放(ポツダム勅令による)や団体規制(ポツダム政令による)などの占領政策が強権的に遂行された。なお,日本国憲法の下では,独立命令や緊急勅令はいっさい認められない。…

※「公職追放」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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