気子島村(読み)けごじまむら

日本歴史地名大系 「気子島村」の解説

気子島村
けごじまむら

[現在地名]豊田町気子島

中田(なかだ)村の南にあり、東端を寺谷(てらだに)用水幹川、中央を磐田田中(いわたたなか)川、西端を僧(ぼうそう)川が南流。嘉応三年(一一七一)二月の池田庄立券状写(松尾大社文書)に「気子嶋」とある。田四段余・畠一九町五段余の畠作中心の土地で、在家が六宇あった。明応二年(一四九三)四月に池田(いけだ)庄気子島住僧の周勢が大般若波羅蜜多経を写経している(「大般若波羅蜜多経」日枝神社蔵)。天正一七年(一五八九)九月一七日の徳川家七ヵ条定書(伊藤文書)の宛先に「気子島惣領方左近衛門」とみえる。

慶長九年(一六〇四)の気子嶋村高辻之覚(伊藤家文書)によると高三一三石余、高持百姓二六・寺二。正保郷帳では幕府領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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