サルフの戦(読み)サルフのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「サルフの戦」の意味・わかりやすい解説

サルフの戦 (サルフのたたかい)

中国,明・清交替の重大転機となった会戦。清の太祖ヌルハチは,1618年(万暦46)明に対する七大恨を掲げて明に挑戦し,撫順清河を陥れたので,明は翌19年楊鎬(ようこう)の総指揮の下に10万の大軍を4方面軍に分け,ヌルハチの本拠である蘇子河畔のヘトアラ(興京)に向けて進発させた。いっぽうヌルハチはみずからの兵力6万の劣勢にかんがみ,各個撃破の戦法を避け,その全軍を蘇子河と渾河の合流点に立つサルフ(薩爾滸)山に集結して,明の主力の西路方面軍3万を迎撃した。この戦闘で西路方面軍は指揮官の杜松が戦死し,全滅した。次いで明の他の3方面軍もあるいは撃破され,あるいは戦わずして退却した。この一連の合戦は陽暦4月14日より5日間続いたが,明軍が兵力の半数を失ったのに反し,ヌルハチ側は死傷者2000を出したにすぎなかった。この大勝により,清軍は遼東地方に進出することができた。
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