コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

撫順 ブジュン

百科事典マイペディアの解説

撫順【ぶじゅん】

中国,遼寧省中部の世界有数の炭鉱都市。瀋吉鉄路(瀋陽〜吉林)に沿い,東方から流れる運河に臨む。撫順城のある旧市街は北岸に,炭鉱のある千金寨と新市街は南岸にある。1898年ロシアがこの炭田採掘権を獲得,日露戦争後,日本がその権益を継承した。1924年に大露天掘計画が樹立され,市街も急速に発達,製鉄・製鋼・機械・化学・セメント工業も興った。またオイルシェールから石油の採取も行われた。解放後は露天掘のほか深層開発も進められた。143万人(2014)。
→関連項目開【らん】炭田炭田遼寧[省]露天掘り

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ぶじゅん【撫順 Fǔ shùn】

中国,東北地区,遼寧省東部の炭鉱都市。人口139万(1994)。遼河の支流の渾河に沿い,瀋陽市東方約60kmにある。明代瀋陽衛撫順所がおかれ,清代,1902年(光緒28)興仁県がおかれ,のち現名に改められた。1937年市制施行。撫順炭鉱は1901年より中国人が採掘を開始したが,日露戦争後日本はロシアから利権を獲得し,満鉄の経営に移した。解放後の工業の発展は顕著で石炭,油母ケツ岩の採掘のほか発電,冶金機械,化学等の工場が建設された。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

ぶじゅん【撫順】

中国、遼寧省にある都市。世界有数の露天掘りの炭田があり、ガス化学・精油・機械などの工業が発達。鞍山・瀋陽などとともに重化学工業地帯を形成。フーシュン。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

撫順
ぶじゅん / フーシュン

中国、遼寧(りょうねい)省東部の地級市。渾河(こんが)中流沿岸に位置し、4市轄区と撫順県、新賓(しんひん)満洲(まんしゅう)族自治県、清原(せいげん)満洲族自治県を管轄する(2016年時点)。人口219万3000(2012)。
 撫順炭田を中心に発展した鉱工業都市で、かつては「石炭の都」とよばれた。漢の武帝の時代にすでに村落があり、石炭を採取していたといわれるが、商業活動が盛んな市場町となったのは明(みん)代以後のことで、清(しん)代末期に県が置かれた。1901年資本家の王承尭(おうしょうぎょう)と翁寿(おうじゅ)が本格的な石炭の採掘を始めた。日露戦争後の1905年(明治38)には日本が採掘権を独占し、南満州鉄道株式会社が炭鉱の経営にあたった。第二次世界大戦後は荒廃したが、中華人民共和国の成立以後急速に復興し、一時は東北地区最大の炭鉱であった。大規模な露天掘りのほか坑道掘進も行われた。さらに炭層上部を厚い油母頁岩(けつがん)が覆い、大慶(たいけい)油田が採掘される以前は人造石油の重要な原料であった。石炭採掘のため人口が急増し、1937年市制が施行された。今日では石炭採掘は衰退し、2015年時点で国内56位の炭鉱にすぎない。市政府は電子部品製造や観光産業に力を入れ、石炭鉱業、重工業依存からの脱却を図っている。
 周辺地域では、米、トウモロコシ、コウリャン、大豆、アワ、ラッカセイを産する。市の東部の渾河上流部には21億トンの貯水量をもつ大(だいかぼう)ダムがある。ダム付近には清初の関外三陵の一つ永陵(えいりょう)など、清の太祖ヌルハチに関係する史跡が多い。また、市南部の平頂山には、1932年(昭和7)に日本軍が行った大量虐殺(平頂山事件)の犠牲者をまつる殉難同胞記念碑がある。溥儀(ふぎ)や日本人捕虜を収容していた戦犯管理所があったことでも知られる。[河野通博・編集部]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

撫順の関連キーワード撫順(ぶじゅん)の奇蹟(きせき)を受け継ぐ会中村正〓(“車へん”に「几」)ヘト・アラ(赫図阿拉)フーシュン(撫順)炭田ターフオファンダムシェールオイルあまん中国の戦犯裁判乙部 泉三郎東北(地区)サルフの戦い愛新覚羅溥儀愛新覚羅溥傑石島 三郎佐々木到一山口 一郎サルフの戦椎野 悦朗井上匡四郎末光 源蔵

今日のキーワード

グランピング

「グラマラス(Glamorous)」と「キャンピング(Camping)」を掛け合わせた造語で、ホテル並みの設備やサービスを利用しながら、自然の中で快適に過ごすキャンプのこと。従来型のキャンプとは一線を...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android