佐々木氏頼(読み)ささきうじより

改訂新版 世界大百科事典 「佐々木氏頼」の意味・わかりやすい解説

佐々木氏頼 (ささきうじより)
生没年:1326-70(嘉暦1-建徳1・応安3)

南北朝時代の武将。近江守護佐々木(六角)時信の嫡子で幼名千寿丸。法号崇永。父時信の跡を継いで,建武年間(1334-38)より1351年(正平6・観応2)6月まで,および54年(正平9・文和3)10月から死没する70年6月まで,近江守護職にあった。晩年には,幕府の引付頭人となり,幕政一端を担った。なお,湖東の永源寺は,1361年(正平16・康安1)に氏頼が,寂室元光を開基として建立した禅刹で,氏頼の法号崇永の〈永〉と源氏の〈源〉をもって寺号としたものという。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々木氏頼」の解説

佐々木氏頼 ささき-うじより

六角氏頼(ろっかく-うじより)

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世界大百科事典(旧版)内の佐々木氏頼の言及

【永源寺】より

…創建時は飯高山と号し,寺号は山上寺ともいう。佐々木氏頼は愛知(えち)川渓谷高野の幽境に後光厳院の勅を奉じて伽藍を営み,1361年(康安1)寂室元光(1290‐1367)を開山に請うて開創し,翌年愛智郡山上郷熊原村を寄進して寺領とした。寺領は将軍足利義満,義持,義政などが安堵し,また佐々木氏は夫役諸公事課役等を免除して経済的保護を加えた。…

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