六角氏頼(読み)ろっかく・うじより

朝日日本歴史人物事典 「六角氏頼」の解説

六角氏頼

没年応安3/建徳1.6.7(1370.6.30)
生年嘉暦1(1326)
南北朝時代の守護大名。法名崇永。近江国(滋賀県)守護佐々木(六角)時信の嫡子。近江国守護職は一時期,一族佐々木(京極)導誉の手に渡ったこともあるが,再び氏頼に補任された。観応の擾乱期(1350~52)には出家して,子の千手丸(義信)に家督を譲る。足利尊氏・義詮 に仕えて数々の合戦に功を上げ,また佐々木家嫡流であったにもかかわらず導誉の台頭を許した。仏教に深く帰依し,たとえば康安1/正平16(1361)年には,寂室元光を開山に招き永源寺(滋賀県永源寺町)を創建している。<参考文献>『近江蒲生郡志』2巻

(宇野日出生)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「六角氏頼」の解説

六角氏頼 ろっかく-うじより

1326-1370 南北朝時代の武将
嘉暦(かりゃく)元年生まれ。佐々木(六角)時信の子。足利尊氏にしたがい,近江(おうみ)(滋賀県)守護となる。尊氏の死後足利義詮(よしあきら)につかえた。出家して雪江崇永と号し,夢窓疎石(むそう-そせき)に参禅し,春屋妙葩(しゅんおく-みょうは)とも親交があった。康安元=正平(しょうへい)16年永源寺を建立(こんりゅう)。応安3=正平25年6月7日死去。45歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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