原太郎(読み)はら たろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原太郎」の解説

原太郎 はら-たろう

1904-1988 昭和時代の作曲家,演出家
明治37年3月25日生まれ。日本プロレタリア音楽同盟に参加。戦後,楽団海つばめを東京で結成し,北海道でポプラ座に,昭和28年秋田県に定着して民族歌舞団わらび座に改称,代表となる。作品に合唱曲芝浦」,歌舞劇「炎の島」など。昭和63年11月15日死去。84歳。兵庫県出身。東北帝大卒。著作に「原太郎芸術論集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の原太郎の言及

【プロレタリア音楽】より

…音楽家同盟は31年以降の日本プロレタリア文化連盟(略称〈コップ〉)の時代にも,その加盟団体として活動を続け,33年には日本プロレタリア音楽同盟と改称している。構成員としては,作曲家守田正義,露木次男,原太郎,吉田隆子,石井五郎らのほか,演奏家の関鑑子(あきこ),井上頼豊,福田上一らが加わり,合唱曲や歌曲の創作と労働者階級の音楽創造を目標にさまざまな活動を試みた。守田の《里子にやられたおけい》《小さな同志》,吉田隆子《鍬》《兵士を送る》,原太郎《芝浦》などの反戦歌,闘争歌などが生み出された。…

【わらび座】より

…共同体生活を営む民族歌舞団。創立者は原太郎(1904‐88),所在地は秋田県仙北郡田沢湖町神代,座員およびその子弟は398人(1983年現在)である。昭和の初め,東北大学の学生であった原は日本プロレタリア音楽家同盟に入り〈民衆の音楽〉をめざすが,第2次世界大戦により中断された。…

※「原太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」