地租軽減運動(読み)ちそけいげんうんどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地租軽減運動」の意味・わかりやすい解説

地租軽減運動
ちそけいげんうんどう

地租率引下げを要求して,地主農民が起した明治の一連の運動。 1873年に行われた地租改正で地租率は地価の3%となったが,それは江戸時代の田租とほとんど変らないものであったため,地主,農民の間から不満がわき,自由民権運動も加担して地租軽減運動が広がりをみせた。 77年政府は地租率を 2.5%とした。しかし,その後においても,運動は自由民権運動と結合して依然盛上がりをみせ,81年国会開設に備えて結成された自由党においても「地租軽減」は一貫して反政府運動の主要スローガンの一つであった。しかし,自由民権運動が敗北し,国会が開設されてからは,自由民権派はむしろ支配層として農民を支配する側についた。 98年第2次山県内閣の地租8厘増徴案が国会を通過,地租率は 3.3%となった。この間,農村においてはインフレと松方デフレ財政政策の影響で,地主層と中小農民層への階級分解起り,農民一般としての共通の利害関係がくずれ,運動そのものも分解,終息へと向った。

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世界大百科事典(旧版)内の地租軽減運動の言及

【地租】より

…84年の地租改正条例の廃止,地租条例の制定によって,物品税の増加とともに地租率をやがて100分の1にまで引き下げるという公約と5年ごとに地価改訂を行うという規定は撤廃され,地租はそのまま固定された。このため,高額地租を不満とする地租軽減運動は,自由民権運動の敗北後も継続されることになった。帝国議会開設から日清戦争までの初期議会において,自由党や改進党などのいわゆる民党は,〈政費節減・民力休養〉をスローガンに,政府予算の削減により地租軽減を図った。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」