寺尾博(読み)てらお ひろし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺尾博」の解説

寺尾博 てらお-ひろし

1883-1961 大正-昭和時代の農学者。
明治16年9月2日生まれ。農事試験場陸羽(りくう)支場冷害につよい水稲「陸羽132号」の育成に成功,東北地方にひろく普及させた。昭和16年農事試験場長。19年「水稲冷害の生理学的研究」で学士院賞をうける。22年参議院議員(緑風会)。昭和36年7月16日死去。77歳。静岡県出身。東京帝大卒。著作に「植物育種要説」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の寺尾博の言及

【農学】より

…昭和初期における農業恐慌,水稲冷害(1931,34,35)は,日本の農学,とくに稲作などをめぐる実験的諸研究の発展の第1の契機となった。篤農荻原豊次の保温折衷苗代の創出は,水稲苗研究の端緒になり,塩入松三郎の水田脱窒現象の発見と全層施肥法の考案は,現代の水田土壌化学への出発点となり,寺尾博らの水稲の冷温による被害の研究は,今日の水稲生理・生態実験の嚆矢(こうし)ともいうべきものとなった。浅見与七が果樹研究へ実験的手法を取り入れたことも見落とせない。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」