小原重哉(読み)おはら じゅうさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小原重哉」の解説

小原重哉 おはら-じゅうさい

1836-1902 幕末-明治時代の武士,官僚
天保(てんぽう)7年生まれ。備前岡山藩士。藤本鉄石らと攘夷(じょうい)運動を展開。元治元年新選組の松山幾之助を暗殺して投獄される。維新後,司法省判事となり監獄法改正につくす。のち内務省監獄局次長,元老院議官,貴族院議員などを歴任。明治35年5月28日死去。67歳。幼名は澄太郎。号は米華。名は「しげや」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小原重哉の言及

【行刑】より

…また,北海道を予定していた流刑も徒刑に転換されるなど,一定期間の使役を内容とする徒刑が自由刑の中心として認められ,その実施は各府藩県管轄の徒場にまかされた。1871年(明治4)には刑部省の小原重哉によるホンコン,シンガポールのイギリス獄制視察が行われ,翌年の〈監獄則幷図式〉に結実する。同年,それに先立ち,西洋法を参照して制定された懲役法により,笞・杖が短期自由刑たる懲役に代えられていたが,73年には先述の徒場は懲役場と改称され,同年の改定律例では,流・徒刑も刑期はそのままに(ただし終身が加わる)懲役に一本化された。…

※「小原重哉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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