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ビュヒナー ビュヒナー Büchner, Georg

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ビュヒナー
ビュヒナー
Büchner, Georg

[生]1813.10.17. ゴッデラウ
[没]1837.2.19. チューリヒ
ドイツの劇作家。貧しい医師の長男として生れる。シュトラスブルク大学で医学,自然科学を学び,ギーセン大学で歴史,哲学を修める。フランス七月革命 (1830) の影響を受けて革命思想に目ざめ,ヘッセン大公の悪政をあばいたパンフレット『ヘッセンの急使』 Der Hessische Landbote (34) を書いて官憲の追及を受け,シュトラスブルクに逃亡。

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ビュヒナー
ビュヒナー
Büchner, Ludwig

[生]1824.3.29. ダルムシュタット
[没]1899.4.30. ダルムシュタット
ドイツの医師で唯物論哲学者。 G.ビュヒナーの弟。医学を修めたのちテュービンゲン大学講師となったが,1855年『力と質料』 Kraft und Stoffを書いて問題を起し,辞職。故郷のダルムシュタットで医師となった。

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デジタル大辞泉の解説

ビュヒナー(Georg Büchner)

[1813~1837]ドイツの劇作家。人間の実存を追求する写実的な作品を書いた。革命運動に加わり、亡命先のスイスで病死。戯曲「ダントンの死」「ウォイツェック」など。ビューヒナー

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百科事典マイペディアの解説

ビュヒナー

ドイツの劇作家。農民解放の革命運動に参加,逮捕を避けながら生物学,医学を研究,チューリヒで病死。最後の2年間に書いた戯曲《ダントンの死》,未完の《ウォイツェク》(のちベルクによってオペラウォツェック》の台本になる)や,作家J.M.R.レンツの狂気を扱った短編《レンツ》などは,きびしいリアリズムと人間実存の追求により高く評価される。
→関連項目アイネム

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世界大百科事典 第2版の解説

ビュヒナー【Georg Büchner】

1813‐37
ドイツの劇作家,自然科学者。ヘッセン州ダルムシュタット近郊の医者の息子。1831年,医学と自然科学を学ぶため,シュトラスブルク大学に入学,革命的雰囲気とさまざまな思想に触れる。2年後,ヘッセンのギーセン大学に移り,34年ギーセンに革命的秘密結社〈人権協会〉を設立,農民に政府打倒の決起を促す文書《ヘッセンの急使Der hessische Landbote》を起草する(プロテスタントの牧師ワイディヒが修正。

ビュヒナー【Ludwig Büchner】

1824‐99
ドイツの生理学者。劇作家G.ビュヒナーの弟。チュービンゲン大学で,診断法,医学概論,法医学などを教えた。19世紀後半のドイツ思想界に多大の影響を及ぼしたいわゆる俗流唯物論(生理学的唯物論)の代表的な論客の一人。《力と物質》(1855),《自然と精神》(1857),《自然における人間の位置》(1869)など多数の著作がある。【広松 渉】

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大辞林 第三版の解説

ビュヒナー【Georg Büchner】

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世界大百科事典内のビュヒナーの言及

【ウィーン体制】より

…33年4月には学生,知識人,職人,亡命ポーランド将校らがフランクフルト・アム・マインの衛兵所を襲撃し,軍によってただちに鎮圧されたが,それらの事態を前に,オーストリア,プロイセン,ロシアは神聖同盟を更新して政治的弾圧を強化することになった。34年には,詩人G.ビュヒナーと牧師ワイディヒFriedrich Ludwig Weidig(1791‐1837)がビラとパンフレットによる体制批判の活動を続け,《ヘッセンの急使》を刊行したが,ワイディヒは逮捕され,国際的警察網と検閲の強化の前に,以後40年までドイツ国内における公然たる反体制運動は影をひそめた。 以後その運動はドイツ国外で,とりわけパリとスイスで続けられることとなった。…

【ウォツェック】より

…G.ビュヒナー原作,A.ベルク作曲による20世紀オペラの傑作の一つ。ベルクは1914年にビュヒナーのドラマ《ウォイツェックWoyzeck》の上演に接し,ビュヒナーの原作をもとにみずから台本を作成して作曲を開始し,ベルクの最初のオペラ作品として,1925年12月14日にベルリン国立歌劇場で初演された。…

【近代劇】より

…19世紀に入って,ユゴーの《エルナニ》(1830)に代表されるフランス・ロマン主義演劇や北欧など小国の民族的ロマン主義の演劇も,韻文形式や歴史的題材のためリアリズムに逆行するようにみえるが,伝統打破の反逆精神によって〈近代劇〉を用意する一つの土壌をつくったことは否定できない。 だが今日からみて,近代劇の先取りとすべきは,社会問題意識や人間心理の洞察の深さにもかかわらず,当時は世に認められなかったドイツのJ.M.R.レンツ,H.vonクライスト,G.ビュヒナー,フランスのL.C.A.deミュッセ,P.メリメなどであろう。とくに夭逝したビュヒナーの《ウォイツェック》は19世紀後半に原稿が発見され,下層民を主人公とした自然主義の先駆作品として評価されたが,もう一つの《ダントンの死》とともに,20世紀になってからは現代演劇の先取りともみなされてくる。…

【俗流唯物論】より

…19世紀の後半にドイツ文化圏で流行したある種の唯物論に対する蔑称。フォークトKarl Vogt(1817‐95),J.モーレスコット,L.ビュヒナーなどの立場を指す。この立場は一種の科学主義的唯物論であり,広義には機械論的唯物論に属するが,18世紀のフランス唯物論がもっぱら物理学的な知見に立脚したのに対して,生理学的な知見に定位し,さらにはダーウィン流の進化論と結合したところに特質がある。…

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