改訂新版 世界大百科事典 「郡内騒動」の意味・わかりやすい解説
郡内騒動 (ぐんないそうどう)
1836年(天保7)8月に甲斐国で起きた大百姓一揆。郡内地方(都留(つる)郡)から発生したためこの通称があるが,当時の史料には甲斐国騒立,甲州天保騒動などと記されることが多い。1833年以来の凶作による米価高騰や,特産品である絹織物価格の暴落を直接の原因とし,36年8月21日夜に都留郡甲州道中沿いの村々の農民が犬目宿の兵助,下和田村の武七らの指導で決起,笹子峠を越えて甲府盆地東部の米穀商や豪農を襲撃した。その後,一揆は国中(くになか)地方(盆地部の3郡)の貧農・無宿らに主導権が移って盆地部全域に波及し,25日までに打ちこわされた家は,甲府・鰍沢(かじかざわ)・韮崎(にらさき)などの米穀集散地を中心に300軒余りにのぼった。江戸に近い幕府直轄領での大一揆に驚愕した幕府は,周辺諸藩に出兵を命じてこれを鎮圧,後日,厳しい処罰をおこなった。しかしこの一揆は,同年9月の三河加茂一揆や翌年2月の大塩の乱にも影響を与えるなど,大きな役割を果たした。
執筆者:安藤 正人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報