日鋼室蘭争議(読み)にっこうむろらんそうぎ

改訂新版 世界大百科事典 「日鋼室蘭争議」の意味・わかりやすい解説

日鋼室蘭争議 (にっこうむろらんそうぎ)

デフレ経済下の1954年,日本製鋼所室蘭製作所(従業員約3700人)での指名解雇(901人)をめぐる労働争議。総評高野実指導による〈ぐるみ〉闘争典型として有名であり,企業整備反対闘争(〈三鉱連企業整備反対闘争〉の項参照)としても知られる。争議は日鋼室蘭労組の敗北に終わるが,妥結に至るまで193日を要した。組合は,同じ三井系の北三連(北海道の三井鉱山3労組)や隣接する富士製鉄室蘭労組をはじめ,総評あげてのオルグ・支援を受けた。また主婦会の結成,地元商店との労商提携もなされ,家族ぐるみ,地域ぐるみの闘争が展開された。しかし組合分裂,闘争資金の枯渇によって,組合は中労委のあっせん案(解雇者数239人削減)をのまざるをえなかった。第二組合は,全労会議の支援を受けて,総評支援の第一組合と流血の衝突事件を起こした。この争議の敗北は,高野実が総評事務局長を退く要因となった。
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世界大百科事典(旧版)内の日鋼室蘭争議の言及

【労働運動】より

…協約闘争のなかで〈明職(明るく働きやすい職場をつくる)運動〉を展開した北陸鉄道労組や企業整備反対闘争を契機として(合意事項を覚書にする)メモ化闘争を推進した三井三池労組など,いくつかの職場闘争の先進的なケースを生み出していったとはいえ,52年の電産・炭労スト,53年の日産争議の敗北などにみられるごとく,産業別統一闘争は組合側の足並みの乱れによって瓦解を重ねた。このようななかで,総評は職場闘争をベースにすえて家族ぐるみ,町ぐるみの地域闘争で闘うという〈ぐるみ闘争〉路線を提起していったが,この方式も54年の尼崎製鋼争議,日鋼室蘭争議の敗北によって実を結ぶことなく終わった。しかも,54年には,総評第2回大会を契機として分裂した民同の右派勢力がヘゲモニーをもつ全繊同盟など3組合が総評から脱退し,総同盟とともに別個のナショナル・センターとして全労会議を結成するにいたった。…

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