全労会議(読み)ゼンロウカイギ

百科事典マイペディアの解説

全労会議【ぜんろうかいぎ】

正称は全日本労働組合会議。1954年総評(日本労働組合総評議会)を脱退した海員組合全日本海員組合),全繊同盟(ゼンセン同盟),全映演,総同盟(日本労働組合総同盟)の4組織を中心に反共・労働組合主義を旗印に結成。当初その翼下に総同盟を含む形になっていたが,1962年全労会議・総同盟が参加,全日本労働総同盟組合会議を結成。1964年の同盟結成大会の前日に解散した。→全日本労働総同盟
→関連項目全国民主主義労働運動連絡協議会

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世界大百科事典 第2版の解説

ぜんろうかいぎ【全労会議】

正称は全日本労働組合会議。全労とも略す。1954年4月総同盟,全繊同盟(現,ゼンセン同盟),海員組合(海員),全映演の4組織,約85万組合員で結成。 全労会議の結成には総評の方向転換が大きくかかわっている。総評は民主的労働組合の戦線統一を目的として1950年に組織されたが,朝鮮戦争(1950)や対日講和条約締結(1951)など揺れ動く社会情勢を背景として大きく左転換し,第2回大会で国際自由労連加盟を否決するまでになった。

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世界大百科事典内の全労会議の言及

【総同盟】より

…一方,刷新強化派は総同盟刷新強化運動に乗り出し,51年6月,総同盟再建第6回全国大会で組織を再建した。 54年4月,総同盟は,総評を脱退した全繊同盟(現,ゼンセン同盟)や海員組合(海員)などとともに全労会議を結成し,民主的労働運動の統一を成しとげた。しかしこれは総同盟という全国中央組織が,全労会議という全国中央組織に加盟するという変則的なものであり,後に組織競合問題をひきおこすことになった。…

【同盟】より

…1987年(民間)連合の結成にともない解散。1964年に全労会議総同盟,全官公(全日本官公職労働組合協議会)により結成された。
[結成に至る歴史]
 同盟の前身ともいうべき全労会議(1954結成)は,総同盟と全労会議(総同盟を除く)という二つの全国中央組織を抱える変則的組織形態を有しており,組織競合問題を生じていた。…

【労働運動】より

…このようななかで,総評は職場闘争をベースにすえて家族ぐるみ,町ぐるみの地域闘争で闘うという〈ぐるみ闘争〉路線を提起していったが,この方式も54年の尼崎製鋼争議,日鋼室蘭争議の敗北によって実を結ぶことなく終わった。しかも,54年には,総評第2回大会を契機として分裂した民同の右派勢力がヘゲモニーをもつ全繊同盟など3組合が総評から脱退し,総同盟とともに別個のナショナル・センターとして全労会議を結成するにいたった。(2)1955年,総評運動は高野事務局長に代わり太田薫(1912‐ )議長(合化労連出身),岩井章(1922‐97)事務局長(国労出身)が指導部の座につくに及んで転換を遂げることとなった。…

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