清洲会議(読み)きよすかいぎ

百科事典マイペディア 「清洲会議」の意味・わかりやすい解説

清洲会議【きよすかいぎ】

1582年(天正10)6月27日,織田氏諸将が清洲城(愛知県清須市)で本能寺の変後の事態収拾のため行った会議。織田信長の後継問題で信長の次男信雄(のぶかつ)と三男信孝が争い,柴田勝家は信孝を推した。しかし羽柴秀吉は信雄・信孝のいずれにも反対で,信長の長男信忠の遺児三法師(後の秀信)を継嗣として主張。秀吉明智光秀討滅に功労があったため発言力が強く,三法師が後継者に決まった。会議ではほかに京都の庶政光秀の旧領処分などについても議されたが,秀吉が主導権を握ったため,勝家との対立を引き起こすこととなった。

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