《イデオロギーとユートピア》(読み)いでおろぎーとゆーとぴあ

世界大百科事典(旧版)内の《イデオロギーとユートピア》の言及

【マンハイム】より

…しかしナチスの台頭でロンドン大学に移り,その地で客死した。ハイデルベルクの知的雰囲気の中で,はじめ認識論的関心から出発したが,やがて新カント派にあきたらず〈歴史主義〉的立場に立って独自の途をひらき,《イデオロギーとユートピア》(1929)によって脚光を浴びる。〈存在被拘束性〉という観点からするイデオロギー批判の方法は,各方面に多くの影響を与え,知識社会学の礎石となる。…

※「《イデオロギーとユートピア》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」