現代外国人名録2016 「アイマンザワヒリ」の解説
アイマン ザワヒリ
Ayman Zawahiri
- 職業・肩書
- 軍人,外科医 アルカイダ指導者 元ジハード団指導者
- 国籍
- エジプト
- 生年月日
- 1951年6月19日
- 出生地
- カイロ・ギザ地区
- 学歴
- カイロ大学大学院医学研究科修士課程修了
- 経歴
- 父はカイロ大学医学部教授、祖父はイスラム法学の最高学府とされるアズハル大学の元総長という名門の学者一族に生まれ、大学で医学を修めて外科医となる。一方、イスラム原理主義に傾倒。1966年15歳の時、非合法組織・ムスリム同胞団に加入し逮捕された後、より過激なジハード団に参加する。’81年サダト大統領暗殺事件の際、武器不法所持で3年間服役。出所後、対ソ連戦のためアフガニスタン入りし、イスラム戦士を医療面で支援。アラブ人義勇兵を徴募していたイスラム過激派指導者のオサマ・ビンラディンと親交を深める。’89年ソ連軍のアフガニスタン撤退後も祖国へは戻らず、活動を続ける。’98年オサマ・ビンラディンらと反米・反イスラエル連合組織“対ユダヤ・十字軍聖戦のための世界イスラム戦線”を発足させ、世界的に知名度を上げた。これを機にジハード団内部で路線対立が激化し、2000年同団指導者を辞任。2001年6月同団の過激分子を率いてビンラディンの率いる軍事組織・アルカイダと合併。以後、アルカイダでテロに関する宗教的な理論面や作戦面を取り仕切る。“アルカイダのナンバー2”と呼ばれる。この間、1999年エジプトで死刑判決を受けた。2001年米同時多発テロ(9.11テロ)の首謀者の一人として米国が指名手配。アフガン・パキスタン国境付近に潜伏中とされる。2011年6月ビンラディンが米軍に殺害されたため、後継指導者に選ばれる。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報