ビン・ラディン(読み)びんらでぃん(英語表記)Osama bin Muhammad bin Ladin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビン・ラディン」の意味・わかりやすい解説

ビン・ラディン
Bin Laden, Osama

[生]1957.3.10. サウジアラビアリヤード
[没]2011.5.2. パキスタン,アボッタバード
アメリカ合衆国を標榜した国際的テロリズム支援組織アルカイダの指導者。Usāmah ibn Lādinとも表記する。サウジアラビアの裕福な建設業者の家に生まれ,1981年にジッダのアブドゥル・アジーズ国王大学で学位を取得。1979年にアフガニスタンに侵攻したソビエト連邦軍と戦うイスラム義勇兵の部隊創設に携わり,1988年頃兵士の訓練を目的とするアルカイダを結成(→アフガニスタン紛争)。帰国後,湾岸戦争における母国の政策を批判し,1991年追放,スーダンで活動を始める。1996年スーダンを追われたのを機に,アフガニスタンに拠点を移し,当時同国で版図を広げつつあったイスラム原理主義組織タリバン庇護を受けながら,反アメリカ姿勢を鮮明に打ち出す。1998年ケニアタンザニアで発生したアメリカ大使館同時爆破事件黒幕と疑われ,世界的にその名が知られるところとなった。2001年にはアメリカ同時テロ主導。アメリカはビン・ラディンの身柄引き渡しを要求したがタリバンが拒否したことから,アフガニスタンを攻撃,タリバンを崩壊させた。その後消息不明となったが,2004年にアメリカ同時テロの犯行声明を収めたビデオテープが公になった。2011年5月,パキスタンの首都イスラマバード北部の町に家族とともに潜伏していたところ,アメリカ軍に殺害された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビン・ラディン」の意味・わかりやすい解説

ビンラディン
びんらでぃん
Osama bin Muhammad bin Ladin
(1957―2011)

イスラム原理主義テロ組織アルカイダの指導者。サウジアラビア最大の建設会社サウジ・ビンラディングループ経営者の息子としてリヤドに生まれ、ジッダで育つ。キング・アブドゥル・アジズ大学に在学中、イスラム同胞団の論客に師事してから原理主義に傾注した。1979年のソ連侵攻後、アフガニスタンで始まったゲリラ戦に協力し、サウジアラビア政府の意を受けてアラブ諸国で志願兵募集や資金集めを展開。1990年にイラククウェートに侵攻すると、志願兵組織を使った防衛案をサウジアラビア政府に提案するが、政府はアメリカに頼った。そのため反サウジ・反米の運動を強めてスーダンに亡命、1996年からはアフガニスタンに移った。1992年から相次いだ中東の米軍施設の爆破事件、1998年のケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件に黒幕としてかかわったとされる。2011年5月にアメリカ政府は、パキスタンのイスラマバード郊外に潜伏中のビンラディンを殺害したと発表した。

田中 宇 2018年4月18日]

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