ムスリム同胞団(読み)むすりむどうほうだん(英語表記)Muslim Brotherhood

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムスリム同胞団」の意味・わかりやすい解説

ムスリム同胞団
むすりむどうほうだん
Muslim Brotherhood

アラブ諸国で、イスラム教の宗教的価値観に沿って社会を改革し、西洋支配から脱することを目標に活動している組織。イギリスの間接支配下にあったエジプトのイスマイリアで、1928年に教育者ハサン・アルバンナーasan al-Bannā(1906―1949)によって結成された。当初は労働者や学生らが参加した政治結社で、病院設立、教育提供、貧困層援助などの慈善活動に力を入れ、草の根の支持を広げた。1940年代以降、周辺イスラム諸国に支部を設け、中東全体に影響を及ぼすようになった。しかし、1954年にエジプトのナセル大統領に弾圧されて以来、歴代政権から弾圧され、長く非合法・野党勢力であった。このため、団員数などは秘密にされているが、幹部学者、医師、企業経営者らが多い。2010年末から広がったアラブ世界の民主化運動(「アラブの春」)では、反政府デモに参加するなど大きな役割を果たした。エジプトではムバラク政権が倒れた後、合法組織となり、2012年、ムスリム同胞団が擁立したムハンマド・ムルシMuammad Mursi(1951―2019)がエジプトの大統領に就任した(2013年失脚)。

 エジプト以外の国々では、トルコで2002年にムスリム同胞団に似た穏健派公正発展党が政権につき、モロッコでも2011年にトルコを手本とする穏健派の公正と発展党が第一党になった。チュニジアでは2011年末、ムスリム同胞団の流れをくむイスラム政党エンナハダ中心の政権が生まれている。一方、ムスリム同胞団を母体とするパレスチナハマスイスラエルに対して武闘路線をとっており、またシリアのムスリム同胞団はアサド政権に対抗する反政府勢力の中心である。このためムスリム同胞団は国によって穏健派から強硬派までさまざまな側面をもっている。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムスリム同胞団」の意味・わかりやすい解説

ムスリム同胞団
ムスリムどうほうだん
al-Ikhwān al-Muslimūn; Muslim Brotherhood

イスラム教の国際的な宗教・政治組織。道徳的腐敗や不平等の拡大を排撃し,『コーラン』や『ハディース』などの教えに立ち返って理想的な現代イスラム国家を建設することを主張する。1928年エジプトイスマーイーリーヤでハサン・アル・バンナーによって創設され,1930年代に宗教,教育に重点を置き,社会活動を通じて成員を急増させた。1930年代後半に政治運動を始め,第2次世界大戦中はエジプトの政権党だったワフド党に対抗。エジプト政府に解散を迫られると 1948年に首相を暗殺した。まもなくハサン・アル・バンナーも殺害されたが,これは政府による暗殺とみられている。エジプト革命後,1954年にガマル・アブドゥル・ナセル大統領の暗殺を企てたが失敗,弾圧を受け,以来合法化と非合法化を繰り返している。1960~70年代を通じほぼ秘密裏に活動。1980年代イスラム諸国で生じたイスラム復興運動(→イスラム原理主義)のなかで組織を改変,反欧米を掲げ,勢力を盛り返して 1980年代半ばからエジプトや中東諸国の議会で議席を獲得し始めた。2011年民主化運動「アラブの春」のなかでエジプトのムバラク政権が倒されたのち,自由公正党を設立して政治参加,2012年同党のムハンマド・モルシが大統領に就任した。しかし 2013年の軍事クーデターでモルシが解任され,まもなくムスリム同胞団も非合法化された。創設以来,エジプトのほか,スーダンシリアパレスチナレバノン,北アフリカ諸国などに拡大しており,各地で影響力をもつ。1987年にはパレスチナのイスラム原理主義組織ハマスがムスリム同胞団のメンバーらによって設立された。

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