アリーガル・ムスリム大学(読み)アリーガル・ムスリムだいがく

大学事典 の解説

アリーガル・ムスリム大学[インド]
アリーガル・ムスリムだいがく

1875年,ムスリムの社会改革者サイヤド・アフマド・ハーン,S.A.がムスリムに近代的教育を施す目的で,オックスフォードとケンブリッジ両大学をモデルとするムハマダン・アングロ・オリエンタル・カレッジインド)をウッタル・プラデーシュ州のアリーガル設立。連邦議会法のもと,1920年に国立大学に昇格し,アリーガル・ムスリム大学となる。多くのムスリム知識人や政治家を輩出し,19世紀末以降のムスリムの文化教育運動であるアリーガル運動(インド)の指導的立場にあった。2012年の学生数は約2万8000人(うち約2割が非ムスリム)。12学部98学科(うち22学科が大学補助金委員会から特別補助金プログラムの交付を受ける)と七つのカレッジ,三つのアカデミー,15の研究所をもつ。2015/16年のタイムズ誌の世界大学ランキングでは90位。
著者: 小原優貴

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアリーガル・ムスリム大学の言及

【アリーガル】より

…1524年の建設といわれるアリーガル城は,今も市街の北郊に残り,多くのモスクが参拝客を集める。1875年創設のアリーガル・ムスリム大学は,独立後もイスラム文化研究の中心的機関として発展している。家内工業で製造される錠は,特産品として名高い。…

【アリーガル運動】より

…19世紀末以降,北インドのアリーガル大学およびその卒業生を中心として起こったムスリムの文化教育運動。その始まりは,1875年のサイイド・アフマド・ハーンによるムハマダン・アングロ・オリエンタル・カレッジ(1920年にアリーガル・ムスリム大学Muslim University of Alīgarhに昇格)の設立である。初期には学生はおもにムスリム上流出身者で占められていたが,しだいに北インドのムスリム中間層の子弟も入学するようになり,20世紀にはインド人ムスリムを指導する多くの知識人や政治家が輩出している。…

※「アリーガル・ムスリム大学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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