日本大百科全書(ニッポニカ) 「アフマド・ハーン」の意味・わかりやすい解説
アフマド・ハーン
あふまどはーん
Sir Sayyid Amad Khān
(1817―1898)
インドのムスリム思想家、社会改革家。デリーに生まれ、20歳のときイギリス政府の役人となり、のちにイギリスから「インドの星勲爵士」の称号を授与された。ムガル帝国下のインド・ムスリムが反英的傾向を強め、近代化を拒んだのに対し、彼はイギリス支配を好意的に受け入れ、ムスリムはイギリスと協力して近代化を行うこと、とくにムスリム子弟のための近代的教育の必要性を主張し、1875年アリーガルにカレッジを創立した。彼の思想は19世紀西欧の科学的合理主義を強調したもので、自然科学を絶対視し、自然に反するものはイスラムにあらずと主張したが、アフガーニーから現代の「ダフリーヤ」(唯物主義)と批判された。また、いっさいの奇跡を合理的に解釈した彼の『コーラン註釈(ちゅうしゃく)』も保守的なウラマー(法学者)から排斥された。しかし、彼の合理的イスラム解釈は、後のインド、パキスタンのムスリム思想家に多くの影響を与えた。政治上では、ヒンドゥーが政府で多数派を占めると、ヒンドゥー優位に対するムスリム社会の危機意識をいち早く感じとり、ムスリムの立場を擁護して反ヒンドゥー感情を強め、後のムスリム連盟結成(1906)の基盤をつくった。
[竹下政孝 2018年4月18日]