アルアラマインの戦い(読み)アルアラマインのたたかい(その他表記)Battle of Al-`Alamayn(El Alamein)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルアラマインの戦い」の意味・わかりやすい解説

アルアラマインの戦い
アルアラマインのたたかい
Battle of Al-`Alamayn(El Alamein)

エルアラメイン戦いとも呼ばれる。第2次世界大戦で,エジプト地中海沿岸のアラマインから,カッタラ窪地の間でイギリス第8軍とドイツ=イタリア枢軸軍との間に戦われた2次にわたる会戦。 (1) 第1次  E.ロンメル将軍指揮下の枢軸軍は,1942年5~6月にかけて西方からスエズ運河を目指してイギリス軍を各地で破り,急速な進撃を続け,アラマインの線に達した。同年7月中攻撃し続けたが,主として地中海を支配しえないための補給の不足によって,ついにイギリス軍に完全に阻止された。 (2) 第2次  42年8月に新たに第8軍司令官に任命されたイギリスの B.モントゴメリー将軍は,枢軸軍が兵員8万,戦車 210,航空機 350をもつのに対して,兵員 23万,戦車 1230,航空機 1500を結集した。モントゴメリは同年 10月 23日,アラマイン正面の敵に対して歩兵部隊による攻撃を開始した。戦闘はイギリス側の絶対的な制空権のもとに進められ,11月3日のヒトラーの無謀な死守命令のため撤退の機を逸した枢軸軍は,翌4日完全に崩壊した。この戦いによって,枢軸軍は北アフリカにおいて決定的な打撃を受け,スエズ運河攻略を断念せざるをえなかった。

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