地中海(読み)ちちゅうかい(英語表記)Mediterranean Sea

精選版 日本国語大辞典 「地中海」の意味・読み・例文・類語

ちちゅう‐かい【地中海】

[1] 〘名〙 まわりを陸地で囲まれ、海峡により他の海域に連なる海。
[2] ユーラシア・アフリカの二大陸に囲まれ、西はジブラルタル海峡により大西洋に通じる海域。大西洋の付属海で、ボスポラス海峡以北は黒海と呼ばれる。東はスエズ運河により紅海・インド洋に通じる。古代には、エジプト・フェニキア・ギリシア・ローマ人が活躍し、地中海文化圏を形成。中世には、ベネチアなどイタリア諸都市の東方貿易の交通路となった。一八六九年スエズ運河の開通により経済・軍事上の重要性を増した。面積約二九〇万平方キロメートル。平均水深一四二九メートル。最深五二六七メートル。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「地中海」の意味・読み・例文・類語

ちちゅう‐かい【地中海】

付属海の一。陸地で囲まれ、狭い海峡大洋とつながっている海。ヨーロッパ地中海・北極海紅海など。

Mediterranean Sea》ヨーロッパ・アフリカ・アジアの三大陸に囲まれた海。南東はスエズ運河によって紅海に、西はジブラルタル海峡大西洋につながる。広義には黒海も含めていう。ヨーロッパ地中海。
富沢有為男の短編小説。昭和11年(1936)発表。同年、第4回芥川賞受賞。美しい地中海を背景に、人妻と画学生との愛欲生活を描く。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「地中海」の意味・わかりやすい解説

地中海 (ちちゅうかい)
Mediterranean Sea

〈地中海〉という言葉は,ラテン語のメディウスmediusとテラterraに由来し,文字どおり〈大陸に囲まれた海〉のことで,北極海,オーストラリア・アジア間の地中海,ヨーロッパ地中海(広義には黒海を含む),紅海,瀬戸内海などがある。一般には,地中海といえばヨーロッパ地中海をさし,狭義でのヨーロッパ地中海(ラテン語では内海Mare Internumと呼ばれていた)は,ヨーロッパ南岸,アジア西岸,アフリカ北岸に囲まれ,面積約297万km2,東西3860km,南北700kmに及び,西はジブラルタル海峡で大西洋に,北はダーダネルス海峡マルマラ海に,南東部ではスエズ運河を通じ紅海と結ばれている。

地質学的にみると,地中海は現在の旧世界の部分に,石炭紀から第三紀初頭にかけて(約3億~5000万年前),東西にひろくのびた形で存在していたテチス海の最大の残存であって,第三紀以降のユーラシア大陸の造山運動によって,この海は分断され狭められたのである。地質学的なタイム・スケールからみれば,ジブラルタル海峡は狭められつつあるということができる。現在の地中海のおよその輪郭は第三紀に形づくられ,アルプス造山運動による周辺山地の形成,アドリア海の形成,ギリシアと小アジアの間の沈降によるエーゲ海の形成などがこれに相当する。地中海地域各地に地震帯が多く,また火山活動が活発なのも,このような地質学的に最近の地殻運動を物語っている。

 アジア沿岸およびアフリカ沿岸の海岸線は比較的単調であるが,ヨーロッパ側沿岸と北東部の海岸線は複雑である。イタリアおよびバルカンの両半島が突出し,そこに多くの湾や入江が形づくられている。地中海海盆は,イタリア半島シチリア島およびチュニスからシチリアにいたる浅い海嶺によって東西両部分に分けられている。第四紀の一時期この部分は陸続きであった。西部は,バレアル海,リグリア海,ティレニア海などからなり,東部は,アドリア海,イオニア海レバント海,エーゲ海などからなっている。地形形成が新しいこととも関連して,アドリア海を除いて,大陸棚の発達が貧弱であり,海岸平野の発達も非常に限られている。流入する河川として,ヨーロッパ側には,エブロ,ローヌ,アルノ,テベレ,ポー,アディジェ,タリアメント,バルダル,ストルマをはじめ,数も多く水量も豊かであるし,黒海を考慮に入れれば,ここには,ドナウ(ダニューブ),ドニエストル,ドニエプル,ドンなどの大河川が流入している。これに対して,アジアおよびアフリカ側は,ナイル川を除くと河川の数が非常に限られている。そのほとんどが大陸棚に属し,海底には旧ポー川の河床さえ認められるアドリア海を別にすれば,西のバレアル,ティレニア,東のイオニア,レバントなどの海は,それぞれ最大水深3000mを超す海盆を形成しており,最も深いのは,メタパン海溝における4206mである。エーゲ海の海底地形は島嶼部と連続していて,これが沈水した多島海であることを示している。

地中海は緯度にして北緯30°から45°に位置し,全体としてみれば,この緯度にある大陸西岸にみられるいわゆる地中海式気候に属している。地中海の気候を支配する主要な要因としてあげられるのは,乾燥・安定した気団をなしている亜熱帯高気圧と,中緯度に卓越する西風で,これは大西洋の水分を含んだ前線や温帯低気圧の通過という形で地中海地域に降水をもたらす。夏には地中海のほぼ全域が亜熱帯高気圧の影響をうけるので乾燥した気候を呈する。低気圧が移動するのは,この前後,すなわち春と秋で,冬には,地中海の北部は,ユーラシア大陸中心部に形成される安定した寒冷気団の影響をうける。一般に冬の地中海の気候は,地域的に多様であり,また年による変化が大きい。地中海に流出する冷たい空気は,地形的影響もあって,ミストラル,ボラなどの局地風となる。またイタリアのアドリア海沿岸部は,ボラによって,かなりの積雪がもたらされることになる。このような地中海の気候のために,地中海地域には常緑樹が多いが,一年生の植物は好乾性のものに限られ,石灰岩質の卓越ともあいまって夏の一年生植生は貧弱である。また,人間の手の加えられる前の原植生は,現在よりも豊かであったことは確かである。歴史時代に気候の乾燥化があったために,人間によって,植生がいっそう貧弱なものになったという結果を招いている。

地中海は,世界の海洋のなかで,潮差が小さいことで知られていて,干潮時と満潮時との差が1mを超す海岸はほとんどない。地中海全体として,海岸線に沿って反時計方向の表面流がある。これは大西洋,黒海からの表面流の流入によっている。中層流も表面流と同様に時計回りと反対に環流する傾向がある。水塊は深層水が大西洋の水塊よりはるかに高温である。ジブラルタル海峡では,下層では地中海からかなりの量の高塩分水が流出している。第2次大戦中,この深層流を利用してドイツ軍のUボートは潜水したままで大西洋に脱出することができた。地中海の塩分は,半乾燥的な地中海式気候と,アジア側およびアフリカ側から流入する河川の水量がナイル川を除いて小さいために,大西洋や黒海に比較して高い。ジブラルタル海峡では36.5‰であるが東に行くにつれて高まり,レバント海では39‰以上に達する。アドリア海は塩分が比較的低く,35~37‰である。黒海からは塩分20‰以下の海水が流入するので,ダーダネルス海峡付近の塩分は25‰程度である。

 地中海の海洋学的研究に大きく貢献したのはモナコのアルベール1世Albert Ⅰ(1848-1922)の提唱によって創設された地中海科学探求国際委員会であり,モナコには彼が創設した海洋博物館がある。

北西ヨーロッパにおいて進行した農業革命および産業革命の結果,地中海地域はヨーロッパの周辺あるいはヨーロッパ列強の植民地になった。しかし,北西ヨーロッパに定住農耕文明が展開されるまで,とくに古典古代世界においては地中海地域は小麦の乾地農法(ドライファーミング)とオリーブやブドウなどの果樹の栽培によって,世界の先進的農業地帯の一つであった。また,近代になって北海や北太平洋,ニューファンドランド沖などの豊かな漁場が大規模に開発されるようになるまでは,地中海は世界で最も豊かな水産資源を提供する場所と考えられてきた。しかし,現代世界における経済的資源として地中海を見るならば,それは決して豊かなものではない。漁業は沿岸諸国すべてで行われているが,漁獲技術の水準などは世界的に見れば高くはない。また,フランスやスペインのように地中海と大西洋の双方に面している国の場合,漁獲高から見て大西洋・北海漁業の比重が圧倒的に大きい。地中海ではプランクトンの繁殖があまりさかんでなく,また,漁場として重要な大陸棚の面積が限られていることが,世界的に見れば,地中海漁業を低い水準におしとどめている主要な理由である。しかし,複雑な海岸線と島嶼に恵まれた地中海地域の住民は,古来,魚を多く食べてきたし,さまざまな海産資源を利用してきた。シチリア,サルデーニャ,およびスペイン沖におけるカジキマグロ漁や東地中海とくにギリシアにおける海綿採取などは古くからの伝統をもつ独特のものである。

 また,地中海地域は急峻な山地および丘陵が卓越しているために,内陸部と沿岸部とのコントラストが激しいことが注目される。内陸部の交通路が十分発達していないため,互いに孤立した内陸部はそれぞれ海への出口を求め,港湾活動を活発にすることによって海上交通を確保することが古くから重要な意味をもっていた。確かに天然の良港は数多いが,地中海の沿岸部について注目しなければならないのは,海岸平野が狭いことおよび沿岸部に湿地が多いことである。沿岸部の湿地の形成は,沿岸海流,地盤運動および石灰岩山地の末端における湧水などの要因が微妙にからみ合って形成されたものであるが,このような湿地帯は,マラリアの蔓延(まんえん)もあって居住に適せず,スペイン,イタリア,ギリシアなどでは近代以降,大規模な排水工事が行われた結果,沿岸部はようやく集約的な農業地帯になった。

 古くから人間の生活舞台であった地中海も,現在周辺に住む人々の生活,とくに都市活動,工業活動に由来する廃水,そして地中海に注ぎこむ河川の汚染によって,生態系の危機が問題になっている。21世紀初頭には地中海は〈死の海〉になるであろうという予想も,多くの科学者によってなされている。

地中海が海上交通路としていかに重要な意味をもっていたかということは,すでに先史時代における巨石文化やケルト文化などの移動路を地中海に沿って東から西にたどれることからも知られる。もちろん航海は多くの危険を伴うものであり,海上交通の大部分は,すでに見えている地点を目ざして1日行程の航海を積み重ねるという形をとるものであった。夜になれば港に入るなり,船を砂浜に上げて休むのが普通であったようである。それはそこで商売をしたり,食料や水を補給するためでもあった。ベネチアは一時期,東地中海を支配した海上帝国をなしたといわれているが,実際に軍事的に支配していたのは沿岸部のごく狭い帯状の地域であり,海上交易により繁栄していたベネチアにとってはそれだけでこと足りたのである。

 しかし,地中海の航海が,見えている地点を目ざした1日行程の航海だけで成り立つわけではない。前2000年ころ,クレタ島民は地中海を一気に横断してナイル川のデルタに到達する航路を知っていたし,フェニキア人はクレタ島を経てシチリアやバレアレス諸島に直行する航路を知っていた。マグナ・グラエキアにやって来たギリシア人もしばしば直行路をとったに違いない。しかし,これらの航海がとくに冬にはいかに危険なものであったかはホメロス以来,数多くの難破の記録が語り伝えられていることからも知られる。航海技術は時代とともに進歩したが,ベネチアやピサの繁栄時代においても,持船が難破したために破産してしまった商人の例は数多い。商業活動と海賊活動とがはっきりと区別できない段階は長く続いた。太古以来,海上交通と海上交易とが最もさかんな海であった地中海は,したがって近代国家の海軍力が確立する200~300年前ころまでは,海賊の跳梁する場でもあった。リパリ島やエーゲ海のいくつかの島のように海賊の本拠地として,かつて繁栄した島もある。

 旧大陸の東西交渉主要交通路であった地中海は16世紀以降その役割を大いに減少させた。地中海諸国の船に代わって,17世紀になればオランダやイギリスなどいわば大西洋勢力の商船が地中海貿易にまで進出してくるようになった。1869年のスエズ運河の開通はヨーロッパ帝国主義国とその植民地とを結びつける通過路としての新しい役割を地中海に与えた。第2次世界大戦の終りまで,ジブラルタル海峡,マルタ島という要衝をおさえることによって地中海の制海権を100年以上にわたって確保し続けたのはイギリスであった。
執筆者:

気候や風土,その他の自然的環境は人間の生活に影響を与え,その精神,文化や社会の質と構造にまである種の条件を提供する。地中海を中心にし,地中海という自然的条件の作用の中にあった地方もその例外ではない。地中海沿岸地方は歴史的にたどれる時代を通じて,今日とほぼ同様の地中海式気候によって特徴づけられる。地中海式気候のもとでは,夏は高温で乾燥し,冬は雨季であるが温暖で,年間の降水量は少ない。ナイル川を除いては大河がなく,天水は長く土壌にたまることなく流れに沿ってすぐに海に排水される。石材は豊富であるが木材は乏しく,このことはこの地方の建造物の絶対的条件となった。夏季には海の色はあくまでも青く,空気は澄みきり,紺碧の空にくっきりと山々が望まれることは,たとえばギリシア神話の神々の,奔放・闊達な世界を説明するかもしれない。一方,土地は石灰岩質でやせているため,今のチュニジア地方とエジプトや黒海沿岸,それにシチリアなどを除いては穀物の生産量は少なく,一般にオリーブやブドウなどの果樹栽培と羊の牧畜が基本的な生業であることは,この地方の経済と社会のあり方の条件となった。

 もし歴史的世界が,気候,風土,地勢などの自然的条件によってのみ決定されるものなら,地中海沿岸に人間が住みついて文化をもつようになってから今日まで,基本的には同質の社会と文化をもった同一の世界が続いてきたであろう。しかし,事実はそうではなかった。古代から現代に至るまで地中海沿岸地方にも歴史学的に見れば性格を異にするいくつかの歴史的世界が継起した。このうち,ギリシア人とローマ人が歴史の担い手になった主として古代のそれを,単に〈地中海世界〉と呼ぶのが歴史学での慣行である。では地中海世界とはどのようにして始まり,終わったのか。それを歴史の流れの中に見ておこう。

 前2千年紀初め,インド・ヨーロッパ語系諸族のギリシア人が何波かに分かれてギリシア,エーゲ海地方などに移動・定住し,おくれて前1000年ころ同じインド・ヨーロッパ語系の諸種族がイタリア半島に南下・定住した。後者のひとつローマ人とギリシア人がやがて主体となって歴史は展開していく。ギリシア人ははじめ小村落に分かれて生活したが,前2千年紀の間にミュケナイなどギリシア各地に小王国をつくり,ヒッタイトやエジプトの大王国と密接な関係をもち,発達したオリエント文明の影響をうけたが,小王国崩壊後の〈暗黒時代〉の数百年を経て,前8世紀ころから各地でポリス(都市国家)を形成し,さらに地中海沿岸各地に活発な植民活動をくりひろげた。イタリア半島でギリシア人植民市やエトルリアの影響をうけたローマ人も似たような発展を経て都市国家を形成した。都市国家,とくにギリシアのそれでは,オリエントの農民とは対照的な政治的・精神的に自由な市民の文化が開花した。このようなオリエントと異なった文化が生み出されたのは,この地方にはティグリス,ユーフラテスのような大河がなく,大河の治水のような専制王権を生み出す条件がなかったこと,また地中海が各地を結んで交易をさかんにし,個人の目を広い世界に遠く開かせて個人の自立を助けたことなどがその原因であった。しかし,ギリシア人の世界はポリス相互の対立抗争が激しく(プラトン〈宣戦布告のない戦い〉,M. ウェーバー〈慢性的戦争状態〉),前5世紀初めのペルシアとの戦争の一時期を除いては一つにまとまることができずに,ポリス世界の外からのアレクサンドロス大王の大帝国に従属した。そしてそのあとにできたいくつかの王権の下に入るが,やがて同じような都市国家から発展したローマ帝国の下に地中海地方の諸民族は統一されるにいたるのである。地中海という共通の風土的・地理的公分母のもとに各地で質的にきわめて近い経済的・文化的・社会的発展をしてきた諸民族は,その中から生まれたローマの支配によって一つの歴史的世界としてまとまったのであった。しかしローマ帝国が後3世紀から5世紀に至る長い下降期を経て内的・外的要因によって崩壊すると,地中海世界も解体し,その中からオリエント的・アラブ的世界(西アジア),ラテン的・ゲルマン的世界(中世西ヨーロッパ),ギリシア的・スラブ的世界(ビザンティン帝国)がしだいに形をとってくる。こうして古代の地中海世界は一つの歴史的世界としての姿を消すのである。
執筆者:

7世紀から8世紀にかけてイスラム勢力が地中海へ進出したことによって,古代以来の地中海世界の統一性は破壊された。しかし,ベルギーの歴史家ピレンヌが述べているのとは違って,イスラム勢力の進出は一気に行われたわけではないし,地中海が〈イスラム教徒の海〉になったわけでもない。イスラム勢力は一進一退を繰り返しながらしだいに西地中海全域へと拡大するようになり,なおビザンティン帝国の勢力が強かった東地中海との間にはっきりした相違が生じた。この二つの海域を結んでギリシア,シリア,ユダヤ教徒の商人たちが活躍していた。しかし,11,12世紀になると北西ヨーロッパにおける〈農業革命〉の結果,全体として生産力が増大し,商工業も発展してくると,ヨーロッパとイスラム世界の交易が拡大することになった。イタリア,南フランス,カタルニャなど各地の商人の活動によって東・西地中海の再結合が行われたことはとくに注目に値する。東地中海ではベネチアがビザンティン帝国との旧来の関係を利用して活発に活動し,アマルフィ,ガエタ,ナポリなど南イタリアの都市も同様な活動を行った。一方,コルシカ,サルデーニャ,バレアレス諸島などのイスラム勢力と対峙していたバルセロナ,ジェノバ,ピサなどの商人は軍事力を行使しつつ商業圏を拡大し,マグリブ沿岸にまで進出した。

 ノルマンによって1130年に建国されたシチリア王国は,この東・西地中海の再結合に大きな役割を果たした。この時代,十字軍によってヨーロッパの勢力がレバントへ拡大したが,文化的には逆に優れたイスラム文化およびその地に保存されていた古代ギリシア文化がヨーロッパに大きな影響を与えた。たとえばアリストテレスの主要な作品がラテン語訳され,ヨーロッパで利用可能となったのも12世紀のことである。ユークリッド,プトレマイオス,あるいはアビセンナ(イブン・シーナー)などもギリシア語,アラビア語からラテン語に訳された。スペインやイタリアにおけるこのような大規模な翻訳活動があって初めて〈12世紀ルネサンス〉と呼ばれるヨーロッパの文化的革新が生じえたのである。自然科学や哲学だけでなく,実用的な数学や商業技術も導入された。イスラム側とキリスト教徒側に分かれているとはいえ,地中海を覆う共通の〈商業文化〉が成立した。

 13,14世紀には地中海貿易はさらに拡大し,フランドルやイタリアの毛織物が大量に東方へ送られ,香料と取引された。紙,蠟,皮革,穀物,ミョウバン,油,ブドウ酒などが各地で交易され,多角的な貿易が行われた。13世紀末~14世紀初頭にジブラルタル海峡がキリスト教徒側の勢力下に入り,地中海からイングランド,フランドルへの恒常的な航路が開かれた。また,ベネチア,ジェノバ,フィレンツェなどの金貨は国際的な決済手段として地中海諸地域で広く用いられた。14世紀後半~15世紀にはヨーロッパの〈経済危機〉の影響で貿易量は減少し,海港都市は互いに激しく競争した。その中でベネチアは優れた貿易組織をつくり出し,有利な地位を確保した。バスコ・ダ・ガマのカリカット到達(1498)とインド航路の開発の後も,地中海の香料貿易は重要な意義をもっていた。16世紀には東でオスマン帝国が勢力を拡大し,西ではレコンキスタ(国土回復戦争)を達成したスペインがイタリアをおさえ,これに対抗した。レパントの海戦(1571)が両者の対決の頂点であった。

 16世紀後半から17世紀にかけて食糧危機と人口圧力の増大,木材資源の枯渇などによって地中海諸地域の経済的地盤は全体として沈下した。バルト海から穀物がイタリアへ輸送されることすらあった。この時期にイギリス,オランダが地中海に進出し,国際貿易を支配するようになった。人口の多いトルコ領は,17世紀のイギリス毛織物工業にとって,なお重要な市場だったのである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「地中海」の意味・わかりやすい解説

地中海【ちちゅうかい】

英語ではMediterranean Sea。アフリカ北岸とヨーロッパ南岸,アジア西岸に囲まれ,ジブラルタル海峡で大西洋と通じる海洋。黒海を含め,約251万km2。平均水深1502m,最大水深5267m。中央部のイタリア半島によって東西の海盆に分けられ,イタリア半島の西方にリグリア海ティレニア海がある。東部,南部の海岸線は比較的単調であるが,北東部のアドリア海イオニア海エーゲ海では複雑。コルシカ,サルデーニャ,シチリア,クレタ,キプロスなどの島がある。沿岸は地中海式気候地中海火山帯がある。表面水温はわりに高く(平均水温13.35℃),塩分は大西洋や黒海に比べて高い。海峡部を除き,著しい表面流,潮汐(ちょうせき)はない。透明度は高い。前3000年ころからクレタ文明(ミノス文明),エーゲ文明が栄え,古代ギリシア,ローマ支配下では交通・貿易の舞台となり,〈地中海世界〉を形成した。7世紀に周辺地域の約2/3がイスラム教徒の支配下に入ってその統一性は失われたが,11,12世紀にはヨーロッパ内陸の生産力の増大を背景に,十字軍などを契機としてベネチアジェノバなどの都市が東方との貿易で繁栄。またこうした東西交流によって伝えられたイスラム文化や,イスラム経由でヨーロッパにもたらされた古代ギリシア文化がヨーロッパの革新を促した。新大陸開発後ヨーロッパにおける貿易の中心は大西洋岸諸都市に移ったが,1869年スエズ運河開通で,再びその重要性が増大した。→テチス海
→関連項目アルジェカルタヘナ(スペイン)大西洋地中海料理ヨーロッパ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地中海」の意味・わかりやすい解説

地中海
ちちゅうかい
Mediterranean Sea

大西洋の付属海の一つで,東をアジア,北と西をヨーロッパ,南をアフリカに囲まれた内海。ジブラルタル海峡で大西洋に,マルマラ海で黒海に,スエズ運河で紅海にそれぞれ連絡している。面積は約 251万 km2。平均水深は 1400m,最大水深はギリシアのテナロン岬南西の 5005m。シシリー海峡を横断する海嶺によって西部と東部に2分される。ジブラルタル海峡が狭く (最狭部 13km) ,浅い (平均水深 365m) ため孤立性が高く,潮汐作用がほとんどなく,水温は約 13℃とほぼ一定し,塩分濃度は平均 34.5‰と高い。気候は夏は降雨が少く乾燥し,冬は温和で雨の多いいわゆる地中海性気候を示す。コルシカ,シチリア,クレタ,キプロスなど多くの島が点在し,ローヌ,ポー,ナイル川などが流れ込んでいる。また,一般に大陸間の海を地中海と呼ぶことがあるが,そのときはヨーロッパ地中海と呼び区別している。

地中海
ちちゅうかい
mediterranean sea

海洋を大きさや形によって分類した場合の一つ。陸によって囲まれた大きな海水域ないし内海で,狭い海峡によって外海と連絡している。大きさによって大地中海と小地中海とに分けることがある。前者にはヨーロッパ地中海 (狭義の地中海) ,北極海,アメリカ地中海 (メキシコ湾とカリブ海をまとめた海域) ,東インド諸島海 (スル海,セレベス海,モルッカ海,ジャワ海などの総称) ,後者にはバルト海,ハドソン湾,紅海,ペルシア湾があげられる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「地中海」の解説

地中海(ちちゅうかい)
Mediterranean Sea

ヨーロッパの南に横たわる東西約4000kmの大きな内海。沿岸地方の気候は,いわゆる地中海性風土であり,夏期の晴天続きと極度の乾燥とを特色とする。冬が雨季であるが,雨量は西ヨーロッパに比してずっと少ない。夏期には航海が容易で,古代において交通,貿易に大いに役立った。フェニキア人,ギリシア人の植民市建設がこれを物語る。ローマ帝国の時代には地中海は「われらの海」と呼ばれて,属州を結びつける役をしたが,アラブ人がアフリカを占領して以来,この海はむしろ南北を隔てることになった。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の地中海の言及

【海】より

…海岸近くの入江や,浦,潟(かた)を海とするか湖沼と呼ぶかは,多分に従来の習慣によっている。
【海の地球科学】

[海の分類]
 海を分類するには,その位置や大きさ,形状,海水の特性などにより,大洋と付属海に分け,付属海はさらに地中海(大・小地中海),縁海に分ける。大洋とは太平洋,大西洋,インド洋の三つであって,その他の海は,いずれもこれらのどれかに付属させる。…

【ヨーロッパ】より

…またもともと陸続きのアジアとヨーロッパとの境界線は,細部についての種々の議論があるにせよ,地理学の方では,大体北から南に走るウラル山脈を基軸として南に下がり,カスピ海から,黒海の入口ボスポラス海峡を結ぶ線とみるのが常識である。それゆえ面積の上では,ウラル山脈の西に広がる坦々たるロシアの大平原とその延長とが大部分を占めているわけで,西に進んでスカンジナビア半島とカルパチ(カルパティア),アルプスの両山脈にきて,初めて険しい山岳地帯に出くわし,やがて大西洋および地中海,あるいはまたバルト海,北海の複雑な海岸線に達するというのが,だいたいのヨーロッパの地形である。 またヨーロッパの気候は,アジアと比べればおおむね温暖で,海洋性気候の恩恵を受ける地域が多く,ロシアの内陸の乾燥地や極北および一部のステップ地帯のほかは,不毛の地はきわめてまれである。…

※「地中海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android